『さくらむすび』 考察 への反応・その他

完全にネタバレなので注意。転載等に問題があればご連絡下さい。



Mini Chimeさん 09/02付更新分

さくらむすび』 は確かに、散らばった嘘と真実を見極める手段が読み手の判断にゆだねられまくっている作品なので、真の正解はライター本人にしか存在していないものではありますが、クリアした時に感じた 「あれってどういうことだったんだろう?」 「あのやりとりはなんだったんだ?」 などの消化不良を抱えている人は、1つの可能性を知るという意味でも是非に。
でも、紅葉にハァハァしているだけというのも、1つの楽しみ方ではありますね(笑)


自分の所にも書きましたが、さくらむすび考察の執筆お疲れさまでした。この作品、本来はもっと書くつもりだったところがあったように思えます(特に可憐)。何かしらの形でオフィシャルから補完されるといいなぁと思っていますが… (ちちゃいむさんからのWeb拍手

いつもお世話様です。やっぱり待ってて人がいるとキーボードのノリが違うし、閲覧者あっての考察であります。
受け手の心の中の 『さくらむすび』 が正解なのか、トノイケダイスケの中の 『さくらむすび』 正解なのかは難しいところではありますね。誤読は恐れていないけれど、トノイケ先生が何を思って、何を意図してして書いたのか是非知りたい。補完については 『水月』 と同じノベライズが怪しいですね。或いはVFBか。
それはそうと紅葉 (*´Д`) ハァハァ


犀の目工房さん 09/03付更新分

桜色の色彩が強い事から華やかな印象が強いんですが、 特に桜のシナリオなんかで社会的な倫理観と言う圧力に周りが囲まれるなど、冬の季節そのものの凍えるような空気が存在してます。

特に桜Badエンドの最後のカットは、淡く幸せな雰囲気のCGなのですが、その前のシーンと結末を知れば、実質的にはマヨイガに閉じ込められるような既にこの世にあらずとしか言い様がなく、そして一見幸せそうに見える分、薄ら寒いまでの白白しさを抱かざるをえませんでした。

明るい雰囲気だったのは紅葉シナリオだけでしたね。それは結局、暖かな社会的加護が得られるのは紅葉との関係だけだから。何が幸せかなんて分かりませんが、きっと紅葉と共にある未来が幸せの総量は最大である。故に安定と捉えました。しかし時にヒトは絶望的な戦いを挑まねばならない。それが進化したヒトであるなら、今の世界全てと。
桜BadEndの解釈は、個人的には凍死のセンで推していきたい。それも最も残酷な、桜だけの死という形で。桜は病弱だし、発見された時間によっては手遅れになっている可能性もある。健康な圭吾は生き残るが、その先の人生は想像するだに……圭吾には、『水月』 で雪さんを見捨てて花梨と生きる決意をする透矢とは比べものにならないくらい、最低の生が待っているでしょう。そういう作品だと思います。


三月のノウサギさん 09/01付日記

一番の疑問点は可憐シナリオで可憐パパが二人の交際を認めなかった理由(化け物)は一体何だったのかということになります。「川の向こう」や「原崎」のキーワードに釣られると金村家被差別部落説、そして可憐の出生ついて考えてみると信憑性が出てくるのが可憐と圭吾は実の兄妹説。秋野夫妻を納得させしめて「今風のきれいな言い方で言うと身分が違う」という発言からするとやはり部落かなと思うのですが、もしかしてこの二つの説って共存できますか?表向き部落ネタを匂わせておいて、よくよく考察していくと実は近親相姦してました、とかだったら凄い合わせ技一本ですよこれ。(あれ?ソフ倫規制緩和ってガセネタだったんですっけ?)

作中では多分両立してます。考察ではあえて触れなかったのですが、原崎 (腹裂) という名の肉屋ってのも注目すべき要素ですね。部落差別問題は自分が専門外なだけに詳しく考察出来なかったので、時間をおいてまた調べが付けば書きたい。ソフ倫規制緩和は本当ですよ。実妹だろうがお構いなし。ここであえて表向き他人という形を取ったのはトノイケダイスケの罠です。(明らかに深追いしすぎて大変な考察になっちゃいましたが)
それはそうと 『さくらむすび』= デレデレゲーの等式ははらたいらくらいガチ。


夏の追憶さん 09/01付日記

まあそういう裏の話はおいといて
トノイケさんの描写はすごいっすね〜。
キャラの仕草や卒業式の朝の流れとか大好き。
散髪シーンも時間がゆっくり流れた。

トノイケダイスケのああいった優しい描写は素晴らしいものがあります。キャラだけではなく、その情景の空気が感じられるような。彼がノベル形式にこだわるのも、ADV形式よりそういった表現に優れているからなのかも知れません。


臥猫堂さん 09/04付日記

でも瀬良父の年齢の矛盾って、僕は単純にトノイケ氏のミスだったんじゃないかなと思っています。
(中略)
とりあえず日記やアルバムに関して言えば、「金村世津子と桜の間に何らかのつながりがある」という可能性。ひいては、「桜と圭吾が実の兄妹である」という可能性をほのめかすためのものであって、読み手に「ひょっとして圭吾と桜は実兄妹?」と疑わせることが出来れば、トノイケ氏の狙いとしては成功だったのだと思います。この辺は『水月』の時とやり方が一緒ですね。ただまぁ『さくらむすび』の場合、そういうやり方がゲームデザインとしてプラスに働いているかというと、ちょっと疑問。

ぼんやりさせたままにしておきたい、という意図は感じました。ただ自分としては、圭吾が言っていたように 「見えもしないものと戦うことは出来ない」 と思ったのです。自分の中で可憐と圭吾をハッピーエンドで終わらせる為には、まず相手を曝く必要がある。そんな意地から書き上げました。だからどこまで言っても自己満足であり蛇足なのです。
水月』 の場合は隠された要素がファンタジー的だったので皆それほど追求しなかったのかも。(山窩 (サンカ) は現代人からしたらファンタジーの類) 今回は現代に根付く要素であり、それが根幹にあるのに明かされないまま。そしてその大元は人の心であったから、消化不良に感じてしまうのかも。


Web拍手

さくらむすび、素晴らしい考察で一つの可能性として十分に考えられるものだと思います。自分は単純に紅葉に萌えてただけなのでそこまで深読みするわけも無かったので今、少し自己嫌悪しています…。


さくらむすび』スレでみかけましたが、桐山亮一と金村世津子が兄妹(姉弟)であったという仮定はどうなんでしょう。

いや、基本的には紅葉に萌えるゲームで正しいはず。紅葉という存在は 『さくらむすび』 の誇るべき要素だと思います。自分の心の中にある 『さくらむすび』 に従えばいい。


桐山亮一と金村世津子の間に血の繋がりがあった説は流石に無いなと思ったので止めました。祖父に当たる代に関する要素は提示されてませんし。まぁ、考えてみるとするならば……
金村世津子は金村家に引き取られた桐山世津子という少女か、桐山亮一が桐山家に引き取られた金村亮一という少年かのどちらか。楓という婚約者が居るのに亮一は世津子に姉弟 (年齢が正しいとすればこうなる) という事実を知らぬまま惹かれ、子供が出来てしまう。亮一と世津子は社会から逃げるが、桐山家の人間がこの関係を処理する為二人を引き離し楓と結婚させる。その問題に対し瀬良光博がアクセスし、世津子と関係を持った結果可憐と桜が生まれる。
或いは引き離された時点で世津子は桜を妊娠しており、妊娠中に瀬良光博と知り合い、出産後間もなく妊娠させられ可憐が生まれる。つまり桜と可憐は異父姉妹であり年子で同学年であるとする。
こうすると世津子の発狂したタイミングが微妙だが、世津子は発狂した状態で桜を産み瀬良光博と関係を持ったとも考えられる。そう考えるとより腐った大人達だな。しかしあまりに無理が多くないだろうか、とは思う。


そんな殺伐とした話の後には一服の清涼剤を。

邦ちゃんからすれば可憐はツンデレ妹だったな


そ  れ  だ  !


むしろ邦ちゃんがヒロインでよくね?


そ  れ  か  ?