CUFFS 『さくらむすび』 再考  紅葉の世界

ネタバレ、というかプレイしていないと意味が分からないと思います。
あまり気分の良いものでもないので、本編に満足してる方はスルー推奨。
   前提:CUFFS 『さくらむすび』 考察  大人達への復讐 (自前)




前置きはすっ飛ばして。
今回検定したのはあるコメント (長いので別ファイル) で指摘された 「紅葉-圭吾血縁説」 です。紅葉エンドの後半が、何かの事実を隠し持っている感触。分からなくはないがいかんせん作中の情報が少なすぎる。性質故に嫌な話な上に脳内補完多数なので、その辺りは考慮して読んで下さい。以下コメント形式で転載。

 個人的には賛同しかねるところではあります。紅葉は楓の娘というままにした方が、トノイケ氏の幼馴染み好きの精神に沿ってるような気がするんですよね。それに、ともすれば時系列を無視したメタ的な考察になりかねません。この作品においてメタ的なやり方は排除すべきだと思う。
 さくらむすびには想像の余地が残されすぎているので、どうしても他人の考察が分かり難くなるような気がします。というか作中の要素だけで理解しようとするのは無理なので、ここは脳内補完で可能性を総当たり、ということになりそうです。

 「紅葉=圭吾の実妹」 ということは、圭吾と紅葉が双子か、紅葉の父親が亮一で母親が違うという事になります。 (世津子が圭吾と紅葉を別々に妊娠するのは時間的に無理) 前者は簡単で、圭吾の片割れが紅葉になる。後者は……これはまた一段と複雑な話になるが、亮一と菊代が通じていたということになる。そうすると亮一は際限ない外道であるが、これは他の物語要素にあまり影響を及ぼさないので簡単に適用できる。もし可憐と桜に関する仄めかしがミスリードで、紅葉の事実を隠すために用意されてるとすると ―― 曝いたつもりが踊らされた、となる。そこまで歪な物語ではないと信じたいのですが……可能性としては存在する。

 (あるいは、紅葉の母親が楓だという説もあるとか。実は子供を作られない身体だったのは菊代で、楓から養子を貰う形に……ああ、よく分からなくなってきた。何となく分かった気になるのではダメだ。書き記すのだ。言葉にできないなんて言い訳だ。とにかく、作品の印象で語るのではなく、時系列的に解く。ベースになる事実が明らかになってから、どう考えるかが始まる。)

 「紅葉=圭吾の実妹」 説を取ってる人は、おおよそあの 「桜結びの台本」 に疑問を持っているようです。あるいは台本には誰かの意図による改変が入っている、としている。その改変は秋野楓の手によるものではないか、と書いてあるのを見てちょっと驚きました……後付の改変は無かったような印象だけど、そもそもマスター台本製作の段階で秋野楓または秋野菊代が関わっている、とする事もできます。

 では、紅葉双子仮説が本当だとして、何のために事実を曲げて紅葉出生の事実を隠蔽しつつ、あのような告発を行う必要があったのか。桜-可憐双子説では途中で瀬良光博側の状況の変化 (世津子の妊娠) があり、あの台本はあのままの形では上演されず、桜のお化けというモチーフだけを使ったと想像される。紅葉双子仮説の場合だと、瀬良光博は正常なままで執筆を進め、圭吾と紅葉の出生まで言及した段階で秋野楓か菊代から介入を受けたことになるだろう。 「紅葉の出生だけは隠してほしい」 と依頼された? それは根拠としては不自然ではないだろうか。 個人的には何者かの台本への介入はなかったと思っています。 (紅葉異母兄妹仮説だと、紅葉は 「桜結びの台本」 に関係ない状態にあるので考える必要がない。これは意外に便利)


・ 「桜結びの台本」 での表現

秋野楓が死んだ。
桜の精が生まれた。
私の中に。
世津子:さぁ帰りましょう
亮一:どこへ?
世津子:桜の国へ
亮一:何故?
世津子:桜の精だから。
亮一:誰が?
世津子:私が。この子が。あなたが。
亮一:おまえとその子が。
世津子:ならば再び交わりましょう。交わりたいのでしょう?
亮一:おまえが。



桜の精が生まれた。
産声をあげ、この美しい世界に。
(略)
クラムスビを持ったあの方にさらわれてしまった。
今日もあの方がきた。体をかわし……
世津子:一緒にいてくださいな。離れないでくださいな
(亮一答えない)

 この文脈だけ見るとリフレインであり二人目 (紅葉?) は生まれていない感じである。一度目は妊娠を意味し、二度目は出産を示す。
 二人目が生まれていると考えるなら、乱暴ながら桜の父親を亮一とすることも出来ます。結局圭吾が生まれ、亮一が圭吾を奪った後も肉体関係は継続していた? 瀬良光博が 「桜結びの台本」 を書いた時点、つまり圭吾誕生から2年後の段階で、世津子は亮一との間に桜を妊娠していた? そしてまた桜は亮一に奪われ、そのことで世津子が発狂。楓は他人の子二人を育てることになり、あの 「桜への恨みのノート」 を残した。そうすると瀬良光博は世津子と関係を持たなくなり、可憐関連の仄めかしはミスリードだった、という可能性もあります。可憐の本当の母親は今の母親ではないが、世津子でもない誰かであり物語には関係ない、と。

 結局何が謎か?
 一番は秋野楓。彼女が何を考え、どのように行動したか。 「桜への恨みのノート」 が楓のものである可能性は否定できません。とりあえず世津子が桜への恨みを綴るというのが、桜-可憐双子説にせよ紅葉-桜姉妹説にせよ紅葉-亮一血縁説にせよ全員非血縁説にせよイマイチ根拠に薄いような。桐山家の書斎にあったのも頷けるし、これは充分考慮に値する。
 二番は秋野菊代。紅葉の設定に疑問をぶつけるなら、彼女は無視できない。彼女が紅葉と血縁を持つのか持たないのか。この人の発言は全て嘘だと思うべき、というのは分かる。しかし如何せん情報量が少ない。親世代の血縁関係まで想像し始めると可能性が発散するので、今は省略。

異母兄妹説、双子説を並べてみて思ったのですけど
・・・・・・・・・・・・・・・・
異母兄妹と異父兄妹が同時に成立する余地はないのですか。
楓(あるいは菊代)と世津子が亮一と光博ととでなんとかつくれませんかね。
静は多分傍観者として白(事情は知ってるけど後から知ったとかで現象には関わっていない)、とか。

 同時に成立する余地はあると思います。むしろ上に書いた紅葉血縁説全体が、桜-可憐双子説と同時に成立させるものとして考えられています。

 紅葉が異母兄妹だとして、その事実をありのまま瀬良光博が告発しようとしたとする。すると当然秋野菊代から介入があるだろう。紅葉の事には触れないでほしい ── 彼はそれを聞き入れ、あの 「桜結びの台本」 を書き上げた。 しかし以前の考察で書いた通り、本当に上演されたかどうかは不明。瀬良光博の状況も変化している。
台本制作に秋野楓が関わっている可能性?彼女の意図は介入している?

 (あるいは桜の父親が亮一だとすると、桜の母親は楓かもしれない。楓の不妊が菊代の嘘ならば、亮一との間に桜が生まれれば亮一と楓の関係はある程度正常化される。そしてそれを見た世津子が桜への恨みをノートに記す。金村家に偽装された桐山家にノートがあったのは、金村セツが遺品として持ち込んだため。この仮説の問題は、桜と圭吾の関係を偽る理由がないこと。この物語は因習と心情的理由によって動かされているハズ。よって信憑性は薄い。)

 亮一の愚行を記した 「桜結びの台本」 の中でも紅葉の存在は隠蔽されていた。では、その隠蔽と平行して、瀬良光博と金村世津子の関係が進行していたらどうなる?
 亮一は菊代と世津子を捨て、楓と結婚した状態で亮一を育てる。菊代は静と結婚し、紅葉を育てる。光博は桜と可憐を施設に預け、そして世津子は発狂する。するとこの段階で初めて、圭吾と紅葉が異母兄妹、圭吾と桜及び可憐が異父兄妹になる。これが真実なのか……と考えるのはまだ早い。

 何故なら 「写真」 の謎が解けていないからである。何故亮一と世津子、圭吾と桜が写っていたのか。この説では説明できない。 どうしたらあの四人で写真を撮られるのか。これは桜の父親が亮一だとするなら説明がつく。しかしそれは前述の通り無理がある。究極的な仮説としては、 「桜結びの台本」 自体が事実を示していない可能性も考えるべき。 「桜のお化け」 にされてしまった世津子と、元凶にされた亮一。果たしてその姿は本物か?

写真に関しては偽装の一つと考えてもいいかもしれませんね。
大前提として亮一は本当にひどいやつか? というのも疑ってもいいかも。
秋野夫婦がうそをついているとしても、完全な悪意があるとは思いたくないんだけどなぁ。

 写真に映っていたのが本当は亮一・世津子・圭吾・桜でないとすると、それは秋野菊代・静による偽装ということになる。
 菊代達が紅葉に関わる過去を隠したのは、良い方向に考えれば 「紅葉と圭吾に重荷を背負わせないため」 だろう。 「完全な悪意によって子を育てる」 という行為の不可能性を考えれば、そういう解釈でもいい……のかな。菊代と静が圭吾と紅葉に対して、ある程度微妙な感情を持っていたとしても、時間の生み出す愛については考慮すべきか。

 ただ気にかかってるのは、菊代と静の紅葉に対する放任具合である。なんだか淡泊すぎやしないだろうか? あの二人の考えはどうにも見えてこない。(そして、出来れば 「双子」 という要素は排除したい。色々と便利な要素なので……というのはノックスの十戒にもある。さくらむすびはミステリじゃないが)

・ 桜-可憐 双子説 (父:瀬良光博 母:金村世津子)
   可憐の言う 「化け物」 の正体を中心に考えた場合で、可憐ルートと桜ルートの類似性が発想の根幹。圭吾と桜・可憐は異父兄妹になる。
・ 圭吾-紅葉 異母兄妹説 (父:桐山亮一 母:金村世津子と秋野菊代)
   亮一を徹底的に悪者に仕立て上げる場合で、亮一が世津子だけでなく菊代とも関係を持っていた可能性。一番目の説と並立可能。
・ 圭吾-桜 実兄妹説 (父:桐山亮一 母:金村世津子)
   亮一が、圭吾誕生後も世津子と密かに関係を持っていた場合で、 「桜結びの台本」 の曖昧な描写が出発点。この場合可憐との血縁は無し。二番目の説と並立可能。


 可憐だけが世津子と光博の娘で、桜は本当に施設の孤児だった可能性もあります。

もう一度読み込もうと固く心に決めた私でありますが、紅葉エンドのラストが「ハッピーな世界を装いながら妙に欝」に感じられたのは確かです。桜、可憐、紅葉の順にクリアして一番底知れない雰囲気を感じたのもあそこでした。

紅葉が圭吾の妹であるならば二人の交際を勧めていた紅葉のご両親のことが酷く気になります。仮に二人が兄妹だと知っていた上で劇中の態度をとっているとするとなんとも恐ろしいものがあります。

まああと、これはものすごーく個人的かつどうでもいいことなのですが、菊代さんが紅葉に避妊をするよう勧める時にクスリを渡して使うように言うのもなんとなくえろげーの定番とは違うような気がするのですよ。普通はゴムじゃないのかなとか。
もしアレが効果のないものだったとしたら――なんてことを考えてしまいました。流石にこれは酷すぎますか。

……なんだかいろいろ勘繰りすぎな気もしますが、そうして妄想をかきたてられてしまうあのテキストは本当に底が知れないです。

紅葉と圭吾が実の兄弟ならば秋野(母)が断固拒絶したと思う。
圭吾の父と桜の君は二回関係を持った感じにとれたので・・・。
これは完全な俺の思いこみだけど。
秋野(母の姉妹)と結婚した後も桜の君との関係が続いて、しかし桜ができてしまった事により関係が発覚。桜は孤児院へ。関係が発覚したことにより、桜の君は完全な隔離。その後現状に耐えられなくなった桜の君が桜を怨みつつ自殺。親友の自殺(自分が原因)により、秋野(母の姉妹)は発狂。圭吾の父は何食わぬ顔で桜を引き取る。秋野(母の姉妹)桜を桜の君の代わりに育て発狂終了。事故にあい圭吾の父、秋野(母の姉妹)死亡。

 亮一と世津子が二度関係を持った、あるいは継続的に関係を持っていた、という可能性については上に書いた通り。確かに過去に置いて秋野楓・秋野菊代が正常だったかどうか、特に秋野楓が死んだ時点で二人が正常だったとは限らない。しかしその発狂はなかったとしても物語は整合性を保てそう。

 (表には見せず、心の内に怒りや恨みを溜めていた? 菊代が何らかの感情を圭吾の世代まで持ち込んで、圭吾達に対して何かを成そうとしている感触がある。圭吾達に絶望を与えたいのか、悲劇の回避を目指すのかは分からないが……これは見逃せないだろう。)

「桜への恨みのノート」 は世津子が書いたのか? 楓が書いたのか? この辺りも確定させたい。

 そもそもからして卒業したら働きたい、と言い出した圭吾くんに「こんなにお金があるから働くのやめてみたら」と勧められるくだりも妙な居心地の悪さを覚えました。お金の心配はないという事実はともかくとして、働いてみたいという意思をわざわざ否定する必要もないのではないかなーと。
 作中唯一の立ち絵を持つ大人たちは本来勧めるべきとされる道とは全然違う方向を示していたような気がします。紅葉エンドのあと、彼等はその先に一体何をさせたかったのでしょうか。……うーむ。

 表面上は 「高校出てすぐ働くなんて、先のことを考えたらやめた方がいいよ?」 くらいの雰囲気ですが、現状の議論進行具合からすると何らかの意図が含まれた言動に見える。

 良い方向に解釈すれば、自分達とは違う道へ進ませるための行動かもしれない。大学へ行かせること自体が、最終的にあの町から紅葉と圭吾を遠ざける意図があったとか。
 大人世代の持つ因縁は、土地に着いた文化に由来するもの。遠ざければ、隠された圭吾と紅葉の因縁も永遠に明かされぬままになる……とか。紅葉の出生は菊代の私生児だとしても、現状では父として静が記載されてると思うので、結婚するには一応障害にならないと思う。亮一は圭吾は認知していても、紅葉は認知していないだろう。

 もう一つのトピックの方に書いたけど、 「圭吾-紅葉 異母兄妹説」 と 「桜-可憐 双子説」 の並立には 「写真」 が若干障害になる。 「圭吾-紅葉 異母兄妹説」 と 「圭吾-桜 兄妹説」 の並立なら 「写真」 の謎は上手く説明が付けられる。 (そうすると可憐の 「化け物」 に関する描写はミスリード
 今は紅葉が圭吾と血縁がある方向で練っているので、桜が菊代の娘である可能性は考慮していない。身体的特徴はこの際無視してOK、なんだろう。もし紅葉が亮一と菊代の娘で桜が静と菊代の娘だと、あまりに煩雑すぎる上に物語上ほとんど意味がない。

以上が議論の内容。提示された情報が少ないのでなかなか進展しない議論ではありますが、考えた価値はあったと思う。


梶井基次郎 『桜の樹の下には』 というモチーフに関する指摘を受け、個人的な結論。

「桜の下には死体が埋まっている」
この言葉の意味を考える。
現実的に、全ての桜の下に死体があるわけではない。しかしこの言葉を知るものは血のように紅い桜を幻視する。実体の無い不安が 『さくらむすび』 の象徴であるとするなら、今自分が囚われているのは何だ? それこそ桜の木の下の死体だと、そう考えることも出来る。さくらむすびという言葉の呪い。

しかし圭吾達は 「桜のお化け」 に出会う。それに紅葉は恐怖し、圭吾は引き込まれる。 「桜のお化け」 を金村世津子という実体として捉えるか、不安が創り出した幻想と捉えるか。それが 『さくらむすび』 に対するスタンスそのものになるのではないだろうか?

 紅葉と圭吾の関係は理想的で、咲き誇る桜のようでもある。しかしあまりの美しさに不安を感じてしまう人がいる。自分のような、そういった性質を持った人間達にとっては 『さくらむすび』 の下に何か暗いものがあるように見えたのだろう。想像を誘うテキストによって増幅され、我々は 「死体」 が埋まっているかどうか確かめずには居られなくなった。しかし全ての桜の下を曝けないのと同じく、テキストからは全ての真実は知り得ない。最終的には受け手の感受性に任されている辺りが本当の怖ろしさなのか、と思いつつ今回は終了。