mixid up 『StarTRain』 感想 ―― いつか、届く、あの人へ。

 いつもよりはちょっと軽い感じで。ネタバレ有り。


 思い返せば、全て遠日奏の為の作品であったように思う。
 この作品は好意の名の下の依存、求める人が遠ざかること、恋愛の一方向性を主題に置いている。それほど突飛なテーマではないが充分にそれらを貫き通した姿は、薄っぺらな意志疎通の幻想よりはよっぽど好ましい。その醜さを知性的に語らず、直接作用する情熱で書く辺りも彼らの年代に合わせた切り口になっている。


 更に言えば上のような主題の根底に、人間らしい煩悶を押し流してゆく最強の概念、日常という麻薬について、その性質を徹底的に描いている。どんなに苦しい恋の教訓(先輩)も無目的な命への抵抗(七美)も、暖かな家と食事(奏)の前には何の力も持たない。先に進む決意の先輩、先の無い決意の七美、二人の遥か上空に遠日奏は居る。(具体的には七美ルート後半でその段階に到達する) 司に三度裏切られて、もはや自己完結に至った遠日奏にとって司の感情は無視できる要素で、その下地があるから一年間離れていても恋愛感情が薄まらない。固定された愛情を希望と呼ぶか、彼女の物語の終焉と見るか。


 (この作品から思い出されたのは、『水月』の琴乃宮雪宮代花梨の対立だった。記憶を失っても残る母への憧れと、記憶を失って価値を無くした平凡な日常の象徴。雪ルートのラストで現実と幻想の境界を越えかけた透矢に対して花梨が使う手段、それは遠日奏と同様に寂しさを日常で押し流す行為だ。花梨の必死の抵抗は人間的なものであるし、結果として充足をもたらすのは理解している。しかし、それらがまるで幸福の唯一定義であるように振る舞うことを、許してしまってもいいのだろうか。抵抗の果ての毎日が平穏であることを否定するつもりはないが、忘させる為に与えられた温もりと食事に満足していていいのか。社会の底を這い蹲ろうと大切な価値を踏み付けられようと、雪さんの元へ向かうことを正義だと認めたのではなかったか)


 七美ルートの中盤、先輩に再会して「付き合おっか」と言われるシーンは象徴的だ。司が惹かれた彼女の弱さがすっかり失われてしまって、ただの人間になってしまった姿。嵐が過ぎて知ってしまった、必死に追いかけたものの正体。二人の間に積み重ねた歴史はあるのに、その価値が噛み合わなかっただけで特別な関係は終わる。先輩とは決して結ばれず、この痛みをもって決別とする潔さ――道程は褒められたものではないけれど、それはこの作品の大きな魅力だと思う。同様に七美も司のことを人間として捉えていない。ただ自分の閉塞した人生の打破を完遂して死んでいった。


 相手を見ない断絶した関係の中で、一人だけ本気で相手の正体を知ろうとする司。自分自身がよく分からない、だから相手から何かを得ようとする。それこそが彼の悲劇の温床で、そういう意味では蓬の話はなかなか興味深かった。自動的に回る地球、目標、夢、希望――特別な事は何もなくても、未来は目の前にある。でもそれは目の前にあるだけで、自分の手では制御できない。だから物語に自分を委任する。恋愛の中に人生を押し込んでみる。そして失敗する。自己定義と言葉の力を借りて自分を強化しようとして折れた飛鳥も、ほとんど同様の構造と見ていいだろう。


 遠日奏は無限の希望として描かれる。どれだけ目の前で心を踏み躙っても、遠く繋がりのない毎日を生きていても、ずっと恋する女の子であり続ける。司から離れた結果その価値を変質させてしまう先輩とは正反対に。遠日奏という人間をどう見るかはこの作品の印象に直結するだろう。一年後の司と奏の結末を明確にせず受け手の想像に任せたのは、ここまで選択を迫られ続けた司に自由な未来を与える為。必要以上に恋愛とその相手に自分の人生の物語を依存させなければ、普通の幸せが得られる筈だ。あくまで普通の幸せなら。


 文章としての美しさであるとか、ゲームとしての完成度の高さは全く感じられないけれど、テーマは非常に興味深いものだった。そしてそのテーマを完璧な形で体現するOPテーマ「StarTRain」が実に秀逸だ。この歌が生まれた時点で、『StarTRain』はその意義を昇華できたと思う。七美エンドのラスト、司と向き合わずに離れた季節を語る奏に宛てたエンディングテーマでもあるのだろう。

笑って泣いても 君に恋してる
ずっと変わらない想い抱いて