何より人の心がWeb世界を回すのです。 (戯言風味)

「いんちき心理学研究所」の終了沈黙のオーディエンスに関連して、
幾つか話題が上がっていたので紹介。
KASAさんの「アクセス数=無言の感想」という捉え方
Orbiumさんの「ニュースサイトの中のヒトはなにを考えるか。」
輪王さんの「子孫ニュースサイトの直接の目的」(01/31)
小生にうずさんの「閲覧者の興味の対象の変化は「一見」と「常連」の差異」
恵さんの「スベスベマンジュウガニ 一旦停止のお知らせ」
この話題はこの間の感想を求めることの記事とほぼ同じ考えでいけそうです。
実際のところ、どんなサイト運営者であっても感想を含めた反応を求めて日々更新しているのです。
まぁ、個人差はあれど更新には結構時間を取るし、コメントには脳の色んな部分を使うので大変は大変。
 (何かについて思考することによる自己の強化という楽しみはあるけど)
それでも続ける理由には、感想反応による刺激の面白さがあるわけで。それは簡単な話。
この間の企画も結局ここに起因する。本当に良い刺激になりました。謝々!
KASAさんの言う通りアクセス数にも大きな力がある。
自分の記事が多くの人の目に触れる機会を得るその数字は、書く事へのモチベーションを向上させてくれる。
ただ、自分の場合は「アクセス数の向上=いつか明確な反応となって返ってくる」と考えているからこそ、
頑張っていけるんじゃないかなぁ、と思う。
数字だけが向上し続けて、いつまで経っても反応が得られないままという事実は結構気持ちをすり減らしてしまう。
ある時急に虚しくなって、続けていることが無意味になってしまえば、その先は「いんちき心理学研究所」さんと同じ
「閉鎖」という到達点。続けることに理由は必要でも、止めることに理由は必要無い。
だから俺は、出来るだけ読者さんから反応を得られるような形にしていきたいし、こちらからも求めていきたいと思う。
おりくらせんせー言うところの「求めたいなら求めてしまえばいい。」で行きます。内容も頑張るから。


今までのは子・孫ニュースサイトとしての反応。ここからは少し違う戯言。
とりあえず現時点でこのサイトは、ブログの中のはてなダイアリーという形で運営されています。
これには、はてなのキーワードによるページ同士の繋がり、運営の容易さ、コメントの得られやすさ等の理由がある。
まぁ、このような、ブログツールが普及した理由はもう今まで散々語られていると思うけど。
これ以外にブログツールの良いところには「誰でも直接感想が書ける」ところにあるんではないかと思うのです。
自分の思考を書き出す場をツールとして用意してもらうことで、メールフォームや掲示板に直接書くほどの情熱無しに、
相手に対して思ったことを素直に書ける。それが些細な感想や違和感であったとしてもだ。
メールフォームや掲示板が相手の領土であるのに対し、ブログなら自分の領土。
相手に反応されなくてもそれは「独り言」「日記」として処理される。逃げ道が用意されると人は自由になる。
チラシの裏」としての機能とリンクによる掲示板的機能、その気になれば真剣な議論の場としての機能を持つブログの存在は、
我々のような何もしなかった/出来なかった只の読者に一振りの剣を与えたのです。
それを振り回して暴れるだけの人もいるけど、俺はその剣で正面切って戦いたい。
心に剣はしっかりと構えたか?さあ、闘技場の中央に進みたまえ! と某ゲーム風に締めてみる。