フォーチュンクッキー感想補足・アンチテーゼ (戯言注意

昨日の感想の続き。ファンの方は見ない方がいい。
家族という単位にこだわる彼等を見ていると「未来にキスを」を思い出す。集団幻想としての家族。
未来にキスを」において人は一つきりの個体として進化する事が是とされていて、
家族、学校、恋人みたいな一括りにして認識する事は悪、と表現されている。
人が作り出した人でないモノに創造主である筈の人が支配されるという矛盾への抵抗。
何にも縛られない個を取り戻す為の儀式。本気でそれを目指している辺りが他には無いと思う。
個人的に家族という社会的概念(特に親-子間の関係)に対して良い感情を持っていない俺は、
この徹底して集団幻想を否定する考え方がかなり気に入っていたりするのですが。
だから、最後まで家族を主張する彼等にちょっぴり不快感と憤りがあったりするのです。
変わりきれていない、「未来にキスを」の慧子曰くところの「旧人類」に対して。
もっとも「フォーチュンクッキー」で定義されている「家族」はもはや集団幻想の家族を越えている、と見れば
この作品自体が社会的存在に対する強烈なアンチテーゼに成りうる、とも。

話は変わるけど、CLANNADが最後の最後で好きになりきれなかった理由はここにある。家族という幻想に対する不信感。
特に岡崎家、あの最後の和解シーンは納得がいかない。失った時間の責任は重く否定を肯定に覆すには至らないと思ってしまう。
CloverHeart'sの白兎のような「まだ心の底から憎いが事の経緯位は聞いてやる。言ってみやがれ」的なスタンスの方が納得出来る。

自分が得られなかったから幻想として否定する、というのはの狐であるのは分かっているが。
新たな人類の前に壁は無い。待つは圧倒的な楽園のみである、とは言うものの。 いつかは辿り着けるだろうか。
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