ぱれっと『ましろ色シンフォニー』に関するコメントレス(ネタバレ有)

「この前のましろ色シンフォニーのコメント紹介で桜乃だけないのは酷いな」「いやお前も書いてないやん」という脳内会議の結果、桜乃についてちょっと書いてみる。
私はお兄ちゃんの空気だから」
誰のシナリオかは忘れたが(アンジェだったか?)この一言が桜乃を的確に表していると思う。
と言っても別に悪い意味ではない。アンジェルートでは微妙に嫉妬の混じったプチ小姑、愛理ルートでは親友の恋路を応援する女友達、みうルートでは割とネジの外れた妹、そして本人ルートでは普通に恋する乙女と、様々な面を演じているが別段キャラが乖離することなくその全部が違和感無く桜乃である、と私には思えた。
「混じり合う 二人の未来は ましろ色」てな愛理ルートがましフォニのメインシナリオであることは疑問の余地はないが、妹という強力な属性を持ちながらそれだけに流されることなく色んな面を見せる桜乃はましフォニを体現したキャラであるのかもしれない。

ただまあ、単体でキャラが強力なので新吾の活躍が薄いとか、このルートだけとある結末が違うので寂しいとかが微妙に語る人の口を重くしてんのかなと思うわけでございますよ、きゃはん(最後にブチ壊し)

 避けてたわけではなくて、誰も名前を口にしないので……とはいえ実際かなりコメントに困る内容で、定義しかねているというのが現状です。自分が物書きだったとして、桜乃を渡されたらかなり困惑すると思うんですよね。設定としては(エロゲにしては)普通だし、彼女の性格を考えると愛理のように甘さに落としていくのは難しい。アンジェのように飛び道具がなく、みう先輩のように周りのフォローも望めない。故にベーシックな落とし処を探したんじゃないかと思うのですが……
 個人的には、『天神乱漫』と同じ瑕疵を抱えているような気がします。(別にライター氏を直接Disってるわけではないのですが) キャラは文句ないんですよね。要素を絞ったためにループに近い経路を辿ってしまった全体構造とか、大事なところで偶然因子を持ってきてしまった告白シーンとか、彼らの関係を殺そうとする悪意を前面に出すほどに厚みを形成できなかった学園描写とか、僅かなすれ違いだったと思います。で、それは桜乃の人格的特性ともリンクしているから、彼女自身が"物語に向かない"存在になってしまった……とかね。勝手な妄想です。
 両親への報告もベタで終わってしまったしなぁ。あのシーン嫌いじゃないんですが、特殊な家庭なんだからもっと掘り下げてもよかったと思います。母出番ナシはあんまりだ。親二人のスタンスの違いを出したり、桜乃と新吾それぞれ血の繋がってない片親に対する感情を描いたりとか、色々できた気がします。しかし(作品の性質上)泥沼にするわけにもいかないし、ホント難しい。
 しかし、皆さんインセストタブーについてはどう考えているんでしょうね。義妹シナリオがどうしてもやりにくくなってるのって、ある意味ではソフ倫規制(実妹NG時代)の名残だったりするのかも、と考えているのですが。義妹でインセストタブーを語る必要がありますか? ベタな設定は売上のためと言い切ってしまうなら、どうしようもないですけど……

  みう先輩ルート読了、今はアンジェにニヤニヤしてます。やばい、溶けそうだ・・・
 二人ほど読んでみて、作品のテーマは「恋をして、変わっていく心」あたりかな、と。恐らく根幹である愛理を読んでないのでなんともですが。そのあたりは本当に上手く書いてあるように思います、アンジェルートにいたっては双方の視点から心情の変化をこれでもかというほど赤裸々に語っており、ニヤニヤしながらエロゲしてる俺きめぇwとなること必至ですね!
 で、みう先輩ルートなんですが・・・結ばれてからの話の流れがカオス! いや、俺だってちびっ子先輩に何度も手で(自主規制)されたいよ! 「まだ出るよね?」とか言われたいよっ! でも、だ・・・いくらなんでもあの尺にH6回は入れすぎじゃないのか。あと、Hシーンに悲しいBGMはやめてくれ・・・勘違いするなよ、黒みうが怖いわけじゃない。無意味なヤンデレは御免ってことだ(ダメギ風)。
 うん、エロスに惑わされて本筋を見失ってしまったかもしれないから、コンプしたらもう一回やってみよう。ラストにぱんにゃが戻ってくるのはどうにもしっくりこない・・・そりゃ子供はいつか親から離れて自分の道を歩んでいくものですが・・・
 すごい批判してる・・・いや、結ばれるまでの流れはほんとに素敵でした。うん、すごい好きです。
 余談:みう先輩ルートは他への複線多めだったかな? まあ紗凪がいい女すぎて困る。メリースリスマスで心を持っていかれた! あと、親子丼ほすぃ。

 軟着陸とかすげー簡単だと思うんですよ、みう先輩の場合。みう先輩も新吾もできた人だし、紗凪は引き際を心得てるし。その中で二回転半決めて着地に爆発効果を入れてみました、という遊び心ではないでしょうか。独立した個性というのは物語とは相性が悪いわけで、それが違和感として表出したのかも。
 ぱんにゃの行はまぁ、薄っぺらに感じられるところもありました。でもペットロスは辛いっすよ。なかなか言葉では説明しにくいですけど、自分があの立場だったらああいう"写真"は特に辛く感じるでしょう。そのままの姿が残っちゃうのはキツい。今回は野生動物と絡めちゃったから、動物の"あるべき姿"の論議と重なって分かりにくくなってるとは思いますが……別にぱんにゃが戻ってきたからって問題なくね?という開き直りもあるのかな。
 とりあえず、そろそろアンジェは終わった頃でしょうか。感想が楽しみですねーなんてなんてー。(結局コレか

 アンジェルート読了しましたよ〜、きゃはんきゃはん!
 幸せだ・・・もうこれがTrueエンドで終了って言いたくなるくらい。続けて愛理ルート読もうと思ってたけどしばらく無理っす・・・
 人間は「もうはんぶん」を探している。みう先輩のルートでも多少は触れていたけれど、今回はズドンとストレート、ど真ん中にきましたね。
 “それを悪いことだとは、もうアンジェと結ばれた今は思わないけれど──それでいい、とある種開き直って認めて受け入れた俺達の『歪み』を。『祝福』だったと言うんだ、この子は。お母さんが、娘のためにかけてくれた・・・”
 人は誰でも歪みを持っている。それはそれ単独では意味を成さないもので、けれど、ぴったり合う「もうはんぶん」と出会えたなら。二人は一つの球のようなものになれる・・・多分この段階ではまんまるじゃない。ころころ、ころころ転がって──丸くなっていくんだ。そんな動きにつられて、周りのみんなも変わっていく。桜乃は兄離れ、紗凪は男の子への対応、愛理は徹夜で手伝うくらいの友達を。彼女たちだけではない、ケーキ作りを手伝ってくれた人達もまた、なんらかの心境の変化はあったはずだ。終業式前での学園長の「やるもんね、あんたたち」の二回目は、そんなみんなの成長へ向けられたものだったんじゃないかな、と思った。そしてその後のケーキカット。まったく、あなたも十分「やるもんです」よ、学園長!
 と、そんな感じに読み進めていたわけですが。ラストのシーンで作者からネタばらし。雪だるまか! やられた〜ってなりましたよ。そうか、球でころがって丸くなっていくって言ったら雪だるまか〜。 うん、くやしいくらいにやられました・・・もちろんいい意味で。
 降り積もったましろ色の雪。ふたりでころころって、おっきく、まるく・・・転がってきたすべての日々があってこその、今なんだな。
 すごい長文、でも削れなかった・・・すいません!


ごめんなさい余談:やばいアンジェかわいいよ嫁にしたい、というかアンジェのご主人様になりたい! それで「いけないメイドにはお仕置きだ〜」とか言って(略

 で、自分がモタモタしてる間に終えられたようで。ニュースサイター孤独死です。いやあ熱いですね。
 歪んでるのは百も承知で、アンジェなりのベストを追求してるのがいい。アンジェは一般論に落としてしまうには惜しい逸材で、その点彼女のシナリオはポテンシャルを最大に生かしていたように思います。愛理とは違った意味で依存しているのですが、それを単純に否定したりしない。人に仕える価値、人間が持つ多面性、そういうものを"あるがまま"に取り扱っている。「私は○○である」という言語的な定義を拡大してしまって、無意味に抑圧された一義的な存在になることがどれだけ不幸か。何者でもなかった新吾と一つのものでしかなかったアンジェという要素の配置、歩み寄るでも過去を参照するでもなく"新しい何か"になる結果を納得させる技術、見事でした。
 手順を踏んで変化を書くには適した媒体だと思うんですよね。魅力的な人に寄せて書けば、人に出会い人が変わるという"平凡"な展開も特別になる。抱えてる問題を解決するだけでは、物語が人に沿うことはないと思うんです。ああちょっと再プレイしてきますねアンジェルートきゃはんきゃはん。