August『夜明け前より瑠璃色な -Moonlight Cradle-』感想 ―― 宇宙の子供たちへ

  • 無用に見えたファンディスクにして、三年遅れの完結編のお話。以下あらゆる側面からネタバレしてるので注意。
  • 最初に結論から言わせてもらえば、一部シナリオを除けば良質なファンディスクであり、無印版に足りなかったものの悉くを補完した堂々の完結編であった、と思います。同梱版として見ていること、高評価を前提に読み進めていただければ幸いです。
  • PS2版はプレイしていなかったのですが、今回のタイミングでPS2コンバート版をプレイできて本当に良かった。 (明らかに"普通"ではない)あの世界の空気を取り戻すことができたし、三年前よりずっと好きになることができました。特に、エステルの存在なくしてこの作品のメインテーマは伝わらない。PS2コンバート版を同梱して発売したオーガストの中の人達は、創作的な見地からこれらの事項を決定したのでしょうか。だとすれば素晴らしい。
  • シンシアのお話は賛否両論、というか否の方が多いような印象を受けます。その根幹はリース本編シナリオと同じものであるし、フィーナ真ルートでのフィアッカを見ていれば違和感のあるものではない……と思うのですが、そうは受け入れられなかったのでしょうか。文明を退行させるような戦争を下敷きにした作品で、悲劇を含まないまま書き進めるのは難しい。それに私は、リースの物語がそうであったように、シンシアの物語が一方向の悲劇だとは思わない。彼女の命はまだ始まったばかりで、それを簡単に切り捨てることは(達哉の語る通り)敬意を欠く行為だろう。
  • リースMCシナリオはほとんど意義を感じられないものだったけれど、ラストシーンだけはとても意味深いものだった。達哉が彼女らの孤独に近付こうとするならば、彼自身が積極的に遺失技術に関わっていかなければならない。フィアッカとシンシアが愛した人類が一年でも早く彼女らと肩を並べられるようにすること、それだけが圧倒的な孤独を本質的に救う手段であると思います。シンシアとの別れの後、おそらくは技術者を志したであろう達哉も同じように考えたはずです。
  • こういう考え方をすると嫌がられるだろうけど、シンシアシナリオ後ならカレン-達哉のラインが繋がる可能性もあるのではないか、と思ったりします。シンシアが抱えた重責に人生そのもの(あるいはそれ以上に永い時間)をかけて近付こうとする達哉なら、彼女と釣り合ってあまりある存在になってゆく筈。遺失技術の最高点を知った達哉は月側から見ても特殊な存在であり、接点的に有り得なくはないかな、と。シンシア編のラストシーンを見る限り朝霧の血は絶えていない≒達哉に新しいパートナーができたと考えています。麻衣の血筋、あるいは達哉の功績により"アサギリ"の名前だけが残っている可能性も否定できませんが……命が縦に続くからこそ人類には未来があるのだから、達哉は後世に子孫を残すのではないでしょうか。
  • ともかく、MCの中にカレンのシナリオが入らなかったことにひどく安心している自分自身に驚きました。エステルに対してもフィーナに対しても揺らがない彼女の魅力が、成長前の達哉に発揮されることはないでしょう。遠い理想を見る人間に惹かれる性質、思ったよりも厄介なものです。
  • シンシアとフィアッカは決して退屈な"永遠の存在者"などではなく、素晴らしい"ボーダー・ガード"だ。今の人類に彼女らのような優しい隣人があれば……と愚考してしまうほどに。技術を少数の人格的判断力によって、しかも永い時間に渡って管理するのは現実的ではないのだろうけど、それでも憧れてしまう。彼女らの存在によって『夜明け前より瑠璃色な』がSFであると主張することに一切の躊躇が無くなりました。 (「ボーダー・ガード」についてはグレッグ・イーガンの短編集『しあわせの理由』収録の作品を参照のこと。人類が永く生きるようになった時代の、孤独にまつわる物語です。オーバーテクノロジーの干渉という意味では『時砂の王』(小川一水)なども参照のこと)
  • 一つの時代に広がってゆく横方向の絆と、時代を超えて貫き通される縦方向の信念。人類という規模で物語を進める上でその縦糸と横糸を忘れないこと。この作品の優等生的な印象はそういう配慮から醸成されているのかもしれません。身近な愛らしさはエロゲらしく、遠い時代や世界の姿を想う心はSFらしく。前者は最初から充分に発揮されていたし、後者はシンシアシナリオが追加されることで背景が強化されたように思います。決して蛇足ではなく、この作品に必要なもの。
  • それら全てを引っくるめて、この作品を象徴する主題歌は「前奏曲 -We are not alone-」(アニメ版OPテーマ)なのかなと考えています。フィーナを初めとした誰の物語もが"前奏曲"であり、月と地球の関係を象徴するエステルに"We are all friends."をもたらすものであり、孤独なシンシアやフィアッカに"We are not alone."を伝えるもの。人類の長大な道程と隣り合う人の温度を同時に表現する名曲です。
  • そしてファイナルチャプター、フィーナMCシナリオへ。彼女については本編で書き尽くしてあるので、いまさら語るべき内容は無いらしいように見えました。しかし、究極的には彼女のシナリオ自体は不必要と思われても、フィーナ・ファム・アーシュライトその人の存在感なくして『夜明け前より瑠璃色な』の幕が引けるはずがない。ここまで見つめ続けた読み手への送辞であり、期待に対する創り手としての答辞でもあったのでしょう。万感の思いで地球を見上げる二人を見届けられたことを、とても嬉しく思います。
  • 全シナリオ終了後にキャラコメントを出すのは珍しいかな。メタ的な楽しみ方かもしれないけど、"ありがとう"も"忘れないで"も"また逢いましょう"も上滑りせずに伝わってきた。思えばこの三年の間、『夜明け前より瑠璃色な』やオーガストについて語る機会は本当に沢山あったわけですが……この世界の住人達の説得力はここまで成長していたのだなぁ、と感慨深い気持ちに。心の帰るべきはあの食卓であること、それはどんなに遠大なテーマを持っていたとしても変わりません。
  • 三年の期間を空けることで印象が変わった部分もあり、変わらぬ良さもあり。この作品は思った以上に読み手のバックグラウンドが反映されやすいのでしょう。技術屋の端くれ、あるいはSFフリークスとしての性質はこの三年間で培われたもので、2005年の11月(本編発売時)には持っていなかった視点。今の自分で読むことができて、本当に良かったと思います。