明治大学アニメ・声優研究会主催イベント'07 「あさかぜラジオin赤羽」 レポ

 北区赤羽会館で開催された、明治大学アニメ・声優研究会主催イベント'07 「あさかぜラジオin赤羽」に参加してきました。『秒速5センチメートル』には思いっきり打ちのめされた為、普通のイベントより期待度高めで会場へ。会場は普通の公民館で場所がやや分かりにくく、待機列が隣接する公園に形成されててどう見ても羞恥プレイだったりしつつも、箱としては充分広くて快適でした。以下は三部構成のトークの内容を軽くまとめたものですが、性質上『秒速5センチメートル』のネタバレが多く入っているので未見の方は注意。


 第一部は『秒速5センチメートル』について。
 秒速を三話構成にしたのは、短い映像作品を作りたいという意図と劇場作品の性質の兼ね合いから来ているらしい。『雲の向こう、約束の場所』が大変だったから短編の三話構成にしたけど結局こっちも大変だった、というのは笑ってしまった。ストーリーテリングの手段としても、貴樹の人生の三つの転換点という感じで良かったと思います。
 中盤から後半では作品の舞台となる土地に関する話題と声優のキャスティングについて。新海監督は自分に密着した土地を作品に出して人生の成果として作品を遺したいというのに対して、nbkz社長はその物語に対して最適な土地を経験から引き出してくるとか。後者はあちこち旅しているnbkz社長らしい方法なのでしょう。キャスティングについても意見が少しずつ違っていて、言い淀みを含めて自然な声の演技を求める新海監督と作中で声質が被らないように配置するnbkz社長。セリフ数の少ない映像作品を作る人間と登場人物もセリフも多いゲームを作る人間の違いでもある、と解説。


 第二部はminoriの作品群のムービーについて。
 『BITTER SWEET FOOLS』『Wind -a breath of heart-』『そよかぜのおくりもの』の一部分の映像と『はるのあしおと』『ef - the first tale.』のムービーが流れ、新海監督が「BSFのムービーを見せられるかと思って焦った」とか。(そりゃ結構古い作品だからなぁ) 「ムービーでは見せ場の三箇所作っている」という話は、minori信者は体感している部分では。(『はるのあしおと』では悠の朝支度・ゆづきの飛び降り・カーブミラーと傘開き丸、『ef - the first tale.』では優子が投げる紙飛行機・屋上大回転・紙飛行機破裂) 「エロゲのムービーはまず序盤に見せ場を作って最後まで見てもらえるようにしなければならない、その為に多少派手な演出を入れてゆく必要がある」という辺りで、ムービーの販促効果の拡大を感じたり。
 作品の方法論、特にテクニカルな側面(使用ソフトや作業形態、表現技法)になると饒舌になる新海監督には好感を持ちました。自分は創作をする人間ではないのだけど、アニメ制作に携わる一種の技能者としての側面を見たような気がします。


 第三部は雑談バラエティ。
 二人の学生時代・会社員時代の話がメインで、経歴を知ってる人には笑える内容だったのですが、相変わらずWebには書きにくい内容。中盤では『秒速5センチメートル』の解釈、一部で話題が紛糾したエンディングについても言及されました。新海監督の制作上の意図と受け手の解釈が異なる部分が多く、それに驚いたという話。(この部分については下の項に詳しく)
 近況として短い作品を仕上げて休みを取りたいという新海監督と、最近『らき☆すた』にハマってるnbkz社長のつかさプッシュやバルサミコ酢ネタがありつつ、最後は質疑応答で締め。質問で当てられた人には新海監督のサイン入り秒速ポスター、nbkz社長のサイン入りefポスターをもらえたようです。




 少しだけ気になった点。ごく個人的な話なのですが。
 新海監督が描き続ける人間の距離について、経験に由来するものなのかどうかを質問した人が居ました。自分は創り手でもないし、創作と経験は決して切り離せないものなのは人間である以上間違いないけれど、描くテーマというのはある種の研究対象にも近いのではないかと思う。自分の持たないモノに対する興味・考察を創作に昇華するのはそんなに珍しいのか、お約束だから質問したのか。質問に問題があったと糾弾しているのではなく、単純に意図が読めないだけの話なのですが、どうにも引っ掛かった。
 少し決め付け気味に失礼な言い方をさせて貰えば、『秒速5センチメートル』のようなテーマを持った作品と向き合って製作が行える人間は、本当に人間の断絶に絶望してはいない筈だ。もし断絶や別れが人格形成に大きなウエイトを占めているなら、あんなに堂々と正面切った作品は描けないと思う。自分の描くものにさえ、救いを求めてしまうと思う。例えば第2話「コスモナウト」では花苗に貴樹が救われるような展開にすることも出来ただろう。でもそれはしなかった。冷静な視点から描いた作品だからこそ、自分のような人間は見ていてあんなにも惨めな気持ちにさせられるのではないか、と。
 創作者の人生の歪みから生まれる、怨念のような作品もある。しかし少なくとも『秒速5センチメートル』はそうではない、と感じている。ポジティブな意図を含んであの結末を描いたという新海監督の言葉。それがどんなに正しい "製作上の事実" だったとしても、"自分の真実" である貴樹の終焉としての結末とは別のものだ。意図・表現・解釈が直接的に繋がることは本当に稀なこと、なのでしょう。
 そう割り切っているので、制作者が意図について語ること自体は肯定的に捉えています。それは単なる事実でしかないから。しかしまあ、作品で語れと言う意見も分からなくはないので、ちょっとだけ本音を漏らす位がベターなのかも知れません。新海監督的には積極的に語りすぎるのは避けたい様子でした。




 新海監督とnbkz社長が知己ということもあって、トークに途切れや淀みがなく適度にネタも挟まっていて面白かったです。『ef - the latter tale.』はまだ先ということもあり、全体的には『秒速5センチメートル』についての話題が多かったかな。作品論や制作論としても興味深く満足の内容だったと思います。