新海誠 『秒速5センチメートル』 感想 ―― 誰の代わりでもない君へ

 『秒速5センチメートル』を見た。余韻を壊すために「StarTRain」を引用しながら色々書き殴ってみる。今読み返したら非常に気持ち悪かったのでスルー推奨。ネタバレ有り。


 これは断絶の話か、あるいは絶望の話かと想像はしていたものの、あれほど徹底された作品だとは思わなかった。ストレートに断絶を、終わってゆく人間を見せてくれるとは。好みの出やすい作品であるのは理解できる。ハッピーエンド原理主義者には間違っても薦められないし、物語に達成感を求める人にも難しいだろう。逃げるのが下手な彼に対して共感を得られない器用な人、強さの定義を自分の中に持っている人、裏切りに対して潔癖である人……元々創作は受け手の感受性(つまりは過去)と切り離せない存在ではあるが、この作品は特に個人の過去によって受け取り方が変化する要素が大きい。自分はありがちだがどこか類似した歴史を持っていて、忘れられない作品になった。

求めているだけでは そんなこと解るはずもないよね

 受け手の環境に影響を受けやすい作品なので、映像に対して評論しようとかそういう気持ちはほとんど起きなかった。物語として定着しているのは「コスモナウト」だけで、装置としての「桜花抄」「秒速5センチメートル」を表現するなら、とびきり綺麗に磨かれた鏡なのだと思う。この作品の本質は、人間が見ないようにしながら本当は頼っている過去。苛つくほどに美化された過去が、鏡写しになって自分の今の生命に襲いかかる。その一つの結果が彼ら――無慈悲なほど対極的な明里と貴樹の姿なのだろう。

すれ違うばかり だけど追いかけていた 想い隠せずに

 自分は最期のあの笑顔に希望を見出すつもりはない。貴樹は自分の求めるもの、知ってしまったものの重さに気付いているし、それを覆すことはとても難しい。社会に組み込まれて生きる人間の歩く道はただ穏やかに、でも少しずつ下っていて。雪に残る後悔が心のリセットを促し、その人がある日突然線路の錆に変わってしまうことを、私達は良く知っている。

通り過ぎる時間が 忘れさせてくれるなんて甘い

 それでも自分はこの作品を、過去の幻影に涙するだけのものだとは思わない。ただ湧き上がる想いを燻らせるだけでいいのか。くすんだ魂は二度と輝くことはないのか。人はこのような悲しみに屈するしかないのか。その疑問を突き詰める鍵としてはとても精度が高い。古い時代が遺した価値観から成り立つこの作品が、心の底から憎い。どうにもならない感傷を破り捨てること、逃げるだけの言い訳と諦めの息の根を止めること、そして何より新しい自分を形作ること。それが本当に必要な勇気であり、それを強烈に意識させるこの作品を、心から愛しいと思う。

もしも願いが一つ叶うなら 留まる切なさをかき消して

 しかし。
 こういう弱い感情を振り切ろうと考える時、死にたい気分を同時に味わうのは、人との繋がりの薄まりを感じてしまうからなのだろうか。繋がりきれなかった彼女と別れたことをきっかけに急激に閉塞を起こしてゆく貴樹が、吐き捨てるように "会社を辞めた" と言った時、ただ緩やかな軌道で燃え尽きていった彼の命の終わりを見た気がした。初恋を悲劇にしてしまった自分、記憶に縛られた自分、孤独とだけ見つめ合う自分。目を背けることを許さないのなら、いっそ彼を殺してやればよかったように思う。この作品の歪ませないまま求められる答えは、そんなものしか思い付かない。

余計な言葉ばかりが溢れてく 伝えたいホントはね ここにあるのに

 彼に必要だったのは、おそらく情熱だ。幼くして人間の断絶と別れの必然性に気付いてしまった貴樹と、それ以上にずっと先に進んでしまっていた明里。おそらく明里は中学を卒業する頃、最低でも高校生までには完全に貴樹を振り切っているだろう。岩舟駅の待合室で一人待つ明里でさえ、貴樹とは違う次元の諦めに満ちている。そんな明里が一方的に決めつけた "あなたはもう大丈夫" という言葉が、彼の足を止めさせてしまった。踏切の向こうへ先に行ってしまった明里と、名を呼ぶことしかできない貴樹。確かに描かれた心の速度の差が、圧倒的な悲劇の泉源になる。

遠く離れてゆくよ 何も言えずに

 もしも、花苗が彼の孤独に気付いた上で、その壁を越えようとする情熱を見せていたら――貴樹の人生は変わっていたのかも知れない。心のままに愛したかったと願い、後悔し続ける貴樹のことを、何も考えなくていいほどに愛してあげられたら。他人の絶望に吸い寄せられる資質は時に人を救うのかも知れない、と考えるようになった。その感情の根源が相手を見ない自分勝手な感情で、永遠とはほど遠い存在であっても、キスで閉じた世界に一撃を加えられる筈だ。その最後のチャンスは鹿児島、社会に飲み込まれる前のあの "ロケットの夏" にしかなかった。

笑って 泣いても 君に恋してる

 そしてもう一つ、彼を救えるものがあるとすれば――明里の手による死刑宣告か。ここまで来れば深く語る必要もない。もうどうしようもなく閉塞した彼を劇的な死をもって迎えよう。しかしそれには積極的に死を受け入れる熱量が必要で、それが得られるとは考えにくい。この物語についてifを求めるのは難しいが、もし美しさによる物語ではなく醜さによる物語なら、充分に有り得た結末だろう。

「サヨナラ」 戻らぬ恋から始めよう

 いつだって先を行くのは女の子で、男はいつまでもその幻影を追う。同じ境遇にある二人が惹かれ合って、その先の遥かな断絶に負けた。彼女が少しだけ彼を振り返って、彼がもう少し足を速めていれば。そうすれば彼らも断絶の中の幸せに気付いたかも知れない。二人の姿を見ているだけで全部が憎しみに変わりそうで、そんな自分が終幕後一番に感じたのは怒りだった。泣くことも出来なくなった貴樹のように、燃え尽きるわけにはいかない。

「好きだよ」 素直にそう言えるように

 この物語に触れた人間は、是非『はるのあしおと』をプレイしてみてほしい。作品としての美しさは遠く及ばないものの近い魂を持った、もっと生々しい、人間が命の熱を取り戻す物語だ。まさかこのような形で二つの桜の物語がリンクするとは、見終わるまで予想もしていなかった。美しい思い出の終焉は、必ず大きな痛みを伴うもの。今は涙するだけかも知れないけれど、その先の景色に憧れずにはいられない。

強くなれたなら いつかきっと……

 貴樹の命が終わった瞬間に私達が受け取ったもの。この作品に触れたあなたは、彼の孤独な生命に、どのような答えを与えられるのでしょうか。