戯画 『この青空に約束を―』 感想 ―― 地上の楽園、約束の場所





・ 俯瞰 ―― 思い出の宝石箱

わたしたちは、あなたを、大歓迎、します…っ!

 本当に楽しい仲間達と、完全な意思疎通から構築される共同体 (コミュニティ、あるいはゲマインシャフト) 。 過去作から連帯感や同一意識を研ぎ澄ませた結果の作品だろう。物語の開始時点で既に違和感を感じる人は最初から最後まで辛いんじゃないかなぁ、と思う部分はあります。

忘れない 笑い声溶けて行った青空を

 物語を進めてから 「Allegretto 〜そらときみ〜 」 を聴くと情景が強く浮かびます。航に向けた凜奈の感謝の言葉。全体的に凜奈に最適化されていて、「きみが背負う青い青い世界」 と 「空ときみが手を繋ぐ風景」 の 「きみ」 は、唯一石段を航より早く登られる凜奈だろう。写真がセピアに染まるムービーは 「約束の日」 に重なる。通常、完全終了後はOPテーマよりEDテーマの方が好きになるものですが、今回に関しては終了後にOPを聴くと意味が分かる珍しいケース。挿入歌の 「Pieces」 も全く手抜きが無くて素晴らしい。 (もちろん、 「さよならのかわりに」 のコーラスVer.は全て超越した究極にして至高) 
 演出といい、音楽といい、システムといい、死角はほとんど無い。あるとすれば……残念ながら絵、だろうか。表情は上手いと思うけど、エロシーン等では一部クオリティにバラツキが。

俺たち…都合のいい答えが欲しかっただけなんだよな…
本当は、正しいことなんか、どうでもよかったんだよな。

 ご存じの通り、 「思い出の宝石箱」 とは 『ショコラ』 翠エンドでの大介の言葉。ショコラ作中におけるこの台詞には大変複雑な三人の心理が含まれているのだけど、言葉そのものを見たとき、これほどつぐみ寮を的確に示す表現は無いと考えます。目が眩むほど美しい思い出は、つぐみ寮という箱に収められて彼らの心の中に。しかし彼らはつぐみ寮という建物を守ったのではなく、自分たちの宝物を奪わせないために戦った。

『みんなで仲良く暮らしました』 で終わりたいよぉ。
せめて、せめてさぁ……あと半年、一緒に、いたいよぉっ。

 誰もが考えたであろうこの気持ち。そう思わせる力は何処にあるのか、以下でちょろっとだけ探ってみたいと思います。




・ 六条宮穂 ―― 歴史的ロマンスの解明と再現

つぐみ寮へようこそ。
本気で何もないけど、大歓迎するから許せ。

 前半は存在感薄めですが、1対1になると非常に可愛い、弄り甲斐のある奴でありました。草柳順子の得意ジャンルを捉えた配役により、航との掛け合いのテンポの良さは随一。 "天然" より "分かっている" キャラの方が光るのが、丸戸シナリオなのです。それでいて廃寮を救った救世主だったり設定的に大物だったり、寮を中心とした部分では極めて重要なポストに居ます。

117、118…あと100段。
先輩、先輩…あと100段しか、ありません。

 『ショコラ』 から続くBGM 「小鳥のダンス」 、そして石段を登る二人。つぐみ寮での誕生日会の様子が描写されないのは、この日が航との特別な日であって欲しいと思う宮の願いによる。今年だけはつぐみ寮のみんなに祝ってもらいたいという気持ちに嘘はなくとも、凜奈以下6名は恋敵同士。自分だけが物語のお姫様になりたくて、わざわざ航を拉致したのですから。宮にとっては残り100段の階段が、航が自分をお屋敷の窓から解放してくれる、5年後の未来予想図だったわけです。
 (当然、あえて表現しない事による無限の楽しさを誘った意味もあるとは思いますが。この作品では結構多用されてて、その分過去作に比べ全体的に玄人好みな傾向にあるのでしょう)

恋のためなら、馬鹿にでも、なんにでも、なるんですよ…

 彼らの解明した歴史的ロマンスは、宮の手によって、宮らしい不器用なやり方で再現される。寮生達の中で宮がオンリーワンになるには手持ちの武器 (思い出ボム・過去反応弾) が足りないから、正攻法で攻めるしかない。彼女の場合告白シーンと最初のエロシーンが同時なので、洞窟での一点において心情が最も前面に出る。このワンシーンこそ宮という人全て、とも言えるでしょう。航の評する通り、馬鹿すぎて可愛らしい。 (まぁ、この作品に関しては本当に、良い意味の馬鹿ばっかりですけど)
 だからこそ後半で航が宮を許さないのもよく分かるのです。当然、航の言ってることはこのシナリオでもエゴでしかないんだけど、自身の正当化の為に心情的に納得しうる (当然 「世界」 には何の効力も持たない) 努力を貼り付けている。 「恋のためなら、馬鹿にでも」 ―― そう言った宮が今度は航の馬鹿に救われるとは、何て皮肉で、何て幸せなお話。

お、美味しいっ………寂しい………っ!

 しかし馬鹿になれば全てが解決する訳でもなく、再会までに5年もの月日を要するってのは、この作品の性質によるのかも知れない。普通に考えれば曲げようのない 「世界」 に対して自分たちのエゴで戦い、その代償として時間を持って行かれてしまった。しかも最終的な解決法としてはそれなりに王道なのに、この時間経過である。リゾート開発計画を上回る六条家の強大さ、でしょうね。

祭りが始まる前からその終わりを想像して、勝手に寂しがってる。
祭りが終わると、夏休みも終わるって、勝手に…思い込んでる。

残念ながら…俺は、あっさり思い出になんか成り下がる気はないからな。

 この作品において、向き合う二人のエゴは時に拡張され、つぐみ寮という 「集団のエゴ」 になる。分かりやすい例がさえちゃんシナリオだろう。社会的に認められない自分たちを力業で押し通す、端から見れば歪な物語。そう考えると静シナリオや凜奈シナリオは完全に 「世界」 と和解するという、宮シナリオ・さえちゃんシナリオ・海己ルートと正反対の性質を持つことになる。 (特に凜奈シナリオはネバーランドの終焉をモチーフにしているし。会長シナリオは他とはかなり違う性質を持つので除外)

わたしを…六条宮穂を…
強引に、奪って、ください。

 ではどちらがこの作品の本質か? 海己を真ヒロインと見れば完全にエゴ側でしょう。物語として極めて若く、思い出を単なる人生の踏み台には終わらせない気力に満ちている宮シナリオは、 『この青空に約束を―』 の本質に近い部分にある。取り戻すべきヒロインが魅力的であることと、自分たちを歪める 「世界」 に抗うことを充分に含んでいるから人気なのでしょう。。もちろん 「世界」 に対抗すること自体は、この作品の第一義ではありません。仲間のために、大切なものを守るために、戦うのです。

青い、青いですよ…青春ですよ〜!

 (かなりプラスの方向に裏切られました。シナリオの独立度はかなり高い。とにかく最大の功労者はCV:草柳順子。犬っぽい性質の演技をさせたらエロゲ界で屈指の実力者でしょう。含まれる成分が非常に多様なキャラで、人気が出るのも分かります。オチ担当としても、由飛のダメな部分を削ったような良いキャラでした)




・ 藤村静 ―― 幼年期の終り

みんな、あんたを愛してる。

 どうやら世間的評価はあまり良くないらしい、静のお話。個人的にはかなりお気に入りのキャラです。確かにシナリオ的には美味しい要素が少ないのですが……折角なので、今回の 「悪意の解釈」 の被害者になってもらいました。

このバカ親め。

 静にとっての別れは 「約束の日」 に収束している。いや、この作品における全ての別れは 「約束の日」 に収束している。だから個別シナリオは各々の成長や未来にスポットを当てているのだと思います。そう見れば、静シナリオも決して悪くない。いわゆる真ヒロインであるところの海己を除けば、最も成長する必要があるのは静だ。彼女の精神は青年期に達する前、幼年期の段階で一部が止まってしまっている。親に愛されなかった欠落は、航の近くに居場所を得たことで埋められたかに見えましたが……。

……さえりが、戻るまで、がんばろ。

 もちろん、静はむしろ娘として保護するべき存在・巣立ちや別れを演出するのに適した人材だけに、恋人にしてしまうのは勿体なくもあるのだけど。他の人のルートでは、航が忙しくなることである程度の独り立ちが早まっている。 (宮シナリオ参照) 航は彼らの大きな、つぐみ寮を守る戦いの最前線に立つべき人だから、静と共に問題の中心地になってしまってはならない。そして一人で解決してしまってはいけない。だから最後は 「人海戦術」 だったんでしょう。静の最初の一歩はつぐみ寮のみんなの力で、ね。

頑張れよぉ!
あんたは、わたしの子だろぉ!?

 静シナリオではさえちゃんがとても大人に見える。それは親としては失格な航がいるから、ではあるのですが……さえちゃんの視点は確かに親からのモノで、その為に静という人の本質は見えていない。 (如何にさえちゃんが静を愛していたかは分かって貰えてると思うので、あえて酷い書き方をする) むしろ本質を見抜いてるのは会長だろう。静の孤独に対する敏感さを知っていて、あの籠城劇を 「あんたが招いた事態」 だと。

聞いてるか〜、ワガママ娘〜。
この、内弁慶の、ずるっこの、根暗っこ〜。

 静の感覚の鋭さは他シナリオでも示される。静は無意味に航と関係を持った訳じゃない。自分に確かな立ち位置を作るために航の弱さを突いた。この人なら自分のワガママは通るという確信により、極めて賢明な判断と手段によって航を籠絡した。表現は悪いが、自分が頼るべき人間の選択とその勇気の原型は評価したい。海己や会長が非常に臆病であるコトへの皮肉を込めてね。

厄介な、本当に、厄介な俺の幼なじみ。

 幸せにしなくちゃならない、という意味。幼馴染みを 「厄介」 と愛を込めて表現すること。母親に見捨てられた過去を持つ海己と、親の手を振り払おうとする静。この時点では八年前の記憶というのが何のことか分からなかったが、海己シナリオを最初に見なかったのは正解かな。段々とピースが揃っていく感触はこういったゲームならでは。
 海己と会長は、諦めたフリをしてずっと航を求めていた。自発的な行動を起こさなかった癖に、静に航を掠め取られたような気持ちになってしまう自分たちを抱えているから、静の背中を押す。その原理によって、物語を下支えする役になっても魅力的に見えるのでしょう。大人すぎるかな、という気持ちもありますが、それだけ共同体としてのつぐみ寮を大事にしていた、とも。

静…行ってこい。
そして、戻ってこい。

 静はつぐみ寮の本当の価値を理解していなかった。航によって孤独への恐怖を教えられ、代わりに航に構ってもらう権利を得た作中以前の過去があり、つぐみ寮を 「一人で居なくても済む場所」 と捉えていたのだと思います。本当はそのぬるま湯で停滞していたいけど、もう猶予がない。静は一人で居なくても済むよう、航の側に確実な居場所を作ろうとした。皆はもし一人になっても大丈夫なように、静を強くしたいと願った。航との衝突・6人での説得をもって、静は航の被保護者からつぐみ寮の 「仲間」 になれたんじゃないでしょうか。

蝶になっても、親を忘れない、愛娘。

 自分は自他共に認めるロ○コン (という病気) ではありますが、成長した姿を見ても不思議と残念な気持ちにはなりませんでした。この作品は成長をテーマにしてると信じてたし、静には変わってほしいと望んでいたところもありました。これはある意味でさえちゃんの心情と同じなのでしょう。そんな特別な思い入れを育てられる作品は、そうはない。

え〜いこの〜。
きちんと抱っこしろ〜、航〜。

 (グラフィカルな情報からも分かる通り猫がモチーフです。犬猫1年生コンビはこの作品の下支えとしてかなり強力。成長後の変わらない甘えっぷりにとろけた、バカ親な人も多いのだと信じたい。あくまでも今回書いたのは穿つ解釈で、本当はとても優しいお話だと思います)




・ 浅倉奈緒子 ―― Remember my memories.

星野くんは…航は、私のこと…もう、好きになっちゃ、ダメだぞ?

 どうだろう、過去作と性質を比較するなら主役ではない秋島香奈子と言ったところですか。香奈子さんの場合、自分以外に2キャラ分の補助推進 (無論チロルと翠のこと。個人的にはかなり不本意な事実) を使って随分と高くまで飛んだ。しかし会長の場合は前に進む予備動作が過去の一件しかない。辻崎マジックはコンパクトにまとまってはいると思いますが…… 「世界」 を絡めた大がかりな仕掛けは海己に任せたか。
 別に会長シナリオが嫌い、というワケではないです。むしろ当て馬という要素はエロゲにおいてはなかなか見られないので、貴重なシナリオだと思います。『ショコラ』 の香奈子さんが別格というだけで。

あたしさ、あたし…今度こそ…

 さて、会長のシナリオが特殊だと主張する理由について。
 つぐみ寮を共同体と最初に示した通り、つぐみセブンは濃密で相手の状態を完全に理解したコミュニケーションを行います。相手が表面上拒絶してもその真意を常に掴んでいて、振り回されるのはいつも個別ルートのヒロイン達。それは会長も同じに見えるのですが……会長シナリオの核はこれらとは全く反対の、相手の真意を探ることが鍵になる。本当は向き合ってるはずなのにすれ違い、ラウンダバウトに入り込む。それは全然おかしなことではなくて、そもそも一般的な恋愛系シナリオはそうやって進行していくもの。なのにそのやり方が特殊と断言できるのはこの作品の性質によるもので、会長シナリオに違和感を感じた人はそれが原因でしょう。
 (凜奈シナリオでも中盤において似た展開がありますが、凜奈シナリオにおいて恋愛は会長の場合ほど重要な要素ではない。それに凜奈の場合、初々しすぎて答えがバレバレなのが面白いんだから)

お願いします…
あいつを、二度も失いたくないの。

 ヒロ先輩というアンチ・航が登場したのは、会長の心の変化を示すためでしょう。 『夏少女』 の真人を思い出させるような、主人公を張れる性質を持った罪のない人間を持ってくる演出。若い、若すぎる。若さからの懐かしさを誘う時は、今回のような古典的な手段を取るのが正しいのかも。正しいのはいつも周りの人達なのに、彼らは自分たちの流儀を譲れない。後顧の憂いを断つための不器用なやり方が、本来の臆病な奈緒子の性質を表しているのでしょう。

あたしは…大の虫を生かすためなら、小の虫なんか、躊躇無く、殺す。

 「さよならのかわりに」 のコーラスVer.で最初に泣き崩れるのが凜奈でも海己でもさえちゃんでもなく会長だ、という演出は実に上手い。つぐみ寮にまつわる思い出の総量で、彼女に勝る人間は居ないのだから。ヒロ先輩とのこと、航への贖罪の感情、さえちゃんの想い、仲間達を守る為のこの1年 ―― 彼女の3年間は、全てつぐみ寮での思い出で形成されている。
 会長が魅力的なのは、いつだって別れのシーンだ。海己シナリオ然り、凜奈シナリオ然り、静シナリオ然り、 「約束の日」 然り。本来 "会長" にとっては、航はもう手に入らないはずの存在。その上で、個別ルートでは航を取り戻すという有り得ない奇跡を手に入れたから、あんなにも航に甘くなれたのでしょう。会長はさえちゃんのこと笑えませんよ。さえちゃんシナリオが自分たちの尻拭いなら、会長シナリオは2年掛かって元の鞘、なんですから。

そしてあたしは…あたしはね…お前の巣になれるよう、頑張るよ。

 (CVについてはこれで良かったと思います。海己と並んで難しい役なので、演技力重視。エロシーンは流石に学園生としては厳しかったかな…… 宮と同じく、かなり独立したシナリオ)




・ 桐島沙衣里 ―― 7人の怒れる寮生

なに考えてんだこのスチャラカ教師〜!
教え子に罪を押しつけやがって〜!

 これだけ素敵なキャラが揃ってる作品の中でも、群を抜いて最高なこのダメ教師。職員会議で頑張るさえちゃんに感心しつつ、それでもいつまでもダメな大人で、面倒臭い女であってほしいなぁ……と思っていたらエピローグが割と馬鹿っぽくて安心しました。無論褒め言葉ですよ?

あんたこそもう社会人なのに、
どうしてそんなに言うことがブレるんだよ!?

 灯台での押し問答 (問答になってたかどうかは謎だが……) あたりのダメさ加減は、社会人っつーかもう人間としてどうなのよ? と訊きたくなるほど。意思弱いなぁ……でも流されなきゃさえちゃんじゃない。時々ちゃんとしたこと言うだけに、自分の感情に対する自信のなさと、簡単な揺さぶりにも負けてしまうところが可愛らしいと思うのです。そう、全面的にこの作品はダメ可愛らしいんですよ。人を好きになると弱くなる人間の書き方に関しては、歴代作品の何処を切っても一級品。

そして、あいつらを、笑顔で送り出せる場所を、残してあげよう?

 今さえちゃんがイイコトを言った! と思ったら早速お前らがピンチ作ってどーするッ!! と思わず会長のように突っ込みたいところ。終盤は先生モノらしい展開、でもやり方はさえちゃん流で。 「約束の日」 では非常に格好良く魅せる反動からか、個別ルートではそれはもう (良い意味で) 誰よりもグダグダ、それがさえちゃん品質でしょう。どう見ても賑やかしキャラだったのに、蓋を開けてみれば凜奈に並ぶくらい好きな話に。

わたしたちの間だけでもいいよ…
星野がわたしのこと、先に好きになったって、二人だけが、知ってれば、いいよ。

 つぐみ寮の時間を維持するための戦い、隠し通すべき航と沙衣里の関係。さえちゃんはまだ、何も見つけられていない人だったのかも知れない。孤独ではなかっただろうけど、自分にとって特別なモノを知らない。だから、ようやく見つけられた幸せな空間と、大切な人を少しも手放せなかった。自分の立場と社会的な罪を正確に理解して、その上で航に甘えてる。つぐみ寮存続のために強くなれたのも、手にしたものの重さを自覚したから。大人じゃないというより、大人と子供の側面がかけ離れているアンバランスな人。普通じゃないほど大人な子供達が揃うつぐみセブンの中だから、子供っぽく見えてしまうワケです。

だから、敵が善か悪かなんて、興味ない。
こっちが悪の秘密結社でも、勝たなきゃなんないし。

 ……まさかクライマックスで 『十二人の怒れる男』 のパロディが展開されるとは想像してなかったけど。やっぱり映画ネタ・ドラマネタは好きみたいですね。何度見てもあの怒濤の詭弁は痺れる。詰み手が自らを天と称した宮の強制力頼りなのは評価が分かれそうだが、リゾートの件はあくまでさえちゃんと航が文字通り体を張って掴んだネタで、最後にはそれが鍵になり救われたことになる。会長の言葉通り 「自分たちの尻ぬぐいで盛り上がった」 自作自演ドラマに近いでしょう。それでも彼らにとっては現状維持が最優先事項だし、さえちゃんなら許そうかと思えちゃうあたりに、さえちゃんの魅力があるのだとと信じてます。ええ。 

けれど…あたしの大切な奴らに危害を加えたら…
どんな手を使ってでも、問答無用で、潰すよ?

 さえちゃんシナリオは、南栄生島というロケーションやつぐみ寮を生かす構造になっている。そして、さえちゃん自身があの心地良い空間から抜け出せなくなる過程も描いている。あの空間こそが 『この青空に約束を―』 最大の魅力。パートナーとしての後日談が会長シナリオと並んで安定していて、なおかつ南栄生島から離れない選択であるのも個人的には高評価です。

さえちゃん………愛してる〜っ!

 (今回の一押し。キャラ的にもシナリオ的にも美味しくCVも完璧。丸戸史明という人は本当に、ダメな人間書かせたらピカイチな人材だと思います。里伽子の名台詞から、 「しょうがないなぁ、さえちゃんは」 と言いたくなる。でもさえちゃんのファッションセンスはいかがなモノかと思うよ……)




・ 沢城凜奈 ―― 仲間に会えた今なら

今のあたしは違うんだもん!
ぶつかっていくって決めたんだよ!

 海己の対になる存在で、今作の表ヒロインに当たる。子供の頃の思い出なんて、自分の足で走り抜いてみせる気迫。あたしには今がある―― そう言ったのは誰だったか。裏ヒロインは海己ではあるんだが、どちらの力が強かったかというと……どうしても作品上の意味を持つのは海己なんですよね。でも個人的には凜奈を応援したいと思います。

う、うあぁ…駄目だぁっ、て、照れる…すっごい、しびれてきたぁっ…

 こっちが照れるわ! この娘は宮と同じく、一度スイッチが入ってしまうと際限なく可愛くなるので中毒性が高い。つぐみ寮の妻達は全員航に甘えたいと思っているし、恋人としての特権を手に入れると容赦なく甘えてくる。もちろん甘やかしちゃう航にも原因の一端はあるんだけど。
 凜奈が入ることでつぐみ寮生達の中に 「普通の人」 の視点が加わり、バランスは良くなってるかも。 (新入りではあっても宮はズレた娘、静は事情により航の影響をかなり強く受けている) そう、シナリオについても凜奈は 「普通」 という要素が強い。 (しかし、かなり高レベルな 「普通」 だなぁ)

ずっと…楽しいままで、いて欲しい。
終わりなんか、来ないで欲しい。

 まずその人の良いところを見せて、その良さをマイナスに働かせる機構が好きなようだ。幸せはいつも奪われるもので、折角手に入れたのだから守らなくちゃいけない。凜奈のピーターパン・シンドロームは、自分の当たり前の幸せを奪い続けた (と凜奈が思い込んでる) 「世界」 への不信に由来する。静シナリオで凜奈自身が語る通り、彼女の立場は信頼できる場所と人をつぐみ寮以外に持たない静に非常に近く、航が持ち込んだ第二の、つぐみ寮の困った 「娘」 である。

もう…泣かない。
この島を離れるまで…ずっと、笑ってる。

 捨てていたものの美しさに気付く、つぐみ寮生全員に強くなる決意を与えるという解決法で凜奈シナリオは終わる。これは静シナリオと同様で 「世界」 と軋轢を生まない。エゴによる戦争がない代わりに、凜奈シナリオで描かれるのは仲間の絆。それも静と似ているのだが、静のように個人に完結しない。凜奈の子供のような感情は大人になりすぎていた仲間達を刺激し、 「約束の日」 をより印象的なものにする。
 しかし 「記憶の宝箱にしまい込もう?」 と海己が語りますか。現状に縋っては生きられないことを、誰かさんのように学生時代に残してきた愛情としてではなく、今突きつけられている。別れを海己に語らせる残酷さは航が語る通りだが、その意味については海己シナリオの段で詳細を。

知恵を、出し合って、作ろうよ。
全員で、一生懸命考えて、作ろうよ。
そして…つぐみ寮合唱団で、歌おうよ。

 唯一合唱の話が出てくることは、 「約束の日」 を凜奈シナリオ後と考える1つの要素。 (「約束の日」 にはそんなことはどうだっていい程の価値があるけれど) しかし凜奈シナリオ内では実際に歌わないのが憎い! 本当に、彼らの別れは 「約束の日」 に集約されているのですね。このことに関しては後の段にて詳しく。自分にとって凜奈シナリオは海己の成長史でもありつぐみ寮ルートでもあるので、様々な要素が絡みあう。

航… 『ちょろっと』 ってのはね、 『ずうっと』 って意味の栄生弁だよ?

 (ひねりは無くとも、色んな面でキャラとしてのポテンシャルが高い優等生。個人的にこの声が大好きということもあって、今回は他キャラとは別格で扱いました。思い入れはさえちゃんと同じように深く、つぐみ寮の魅力から抜け出せなくなる様はプレイヤーの象徴でもある)




・ 羽山海己 ―― 世界を革命する力を

…お前、ほんっと愛すべき奴。
俺、大好き。でも馬鹿。

本当に、難儀で、空気が読めなくて、そして、大切な奴。

 海己は一種の精神的疾患を持っていて、静とは比べられないほどの欠落の持ち主。海己こそ救われるべき人間で、 「世界」 から必要とされない海己はつぐみ寮の存在と同一化される。他人と自己によって抑圧された精神性、理性と乖離していく感情と肉体。痛さ・厳しさにおいては里伽子シナリオにも並び立つ。里伽子の場合とは違い、海己と航には全く責任がないのだけど。

誰も傷つかない。誰も嫌な思いなんかしない。
そんな世界に、してみせるから。

 海己の母と航の父が全てを捨てて逃げ出したことについて、その二人を責めるのか? それとも発端である一誠を責めるのか? 彼らの結論はどちらも違う。海己と航、そして宮シナリオの段で説明した理論に従って拡張されたエゴ 「つぐみ寮」 が戦うべきはシステムそのもの。 「世界」 との戦争を描くことに関しては一番幅が広い。海己は凜奈や静以上につぐみ寮にとって守るべき娘 ―― いや、つぐみ寮そのものだったから、全員で守った。

だから、見せてください。
世界が滅んでも離れたりしない、お二人の姿を。

あ〜あ…やっぱあんたなんか…嫌い。

行け、性少年。
行って、校則違反と寮則違反を謳歌してきなさい!
後のことなんか、わたしは知ったことか!

なら…
かってに…すればいい。

最後の最後に、ものすごい面倒ごと持ってきてくれたわね。
これだからつぐみ寮はやめられないのよねぇ。

 残り100段目で待つ宮、最後の勝負を挑む凜奈、説教するさえちゃん、変わらないと宣言する静、ただ肯定してくれる会長 ―― これは 「約束の日」 とちょっとだけ似ていて、海己が真ヒロインとして破格の扱いを受けている証明にもなる。
 そして海己以外のヒロイン達は航との会話によって、自分の可能性を自分で潰さざるを得なくなる。この時の彼ら行動は、全て各々の個別シナリオを否定していくことになる。再会の階段が別れの道になって、いつまでも続けたい勝負が最後になってしまって、航に対して教師でなきゃいけなくなって、心の底から甘えることが出来なくなって、自分のことを本当に思い出に変えてしまって。本当に、酷い。その彼女たちの痛みが、海己と航を永遠に続く楽園へ押し上げる。つぐみ寮どころか、南栄生島をネバーランドに創り替える。

違う、違う! わたしこそが、ずっと、願ってた!
永遠に続く楽園を夢見てたのはわたしのほう!

でも…でもね…
ここは、やっぱり、子供しか、いられない。誰かを傷つけなければ、居続けることは、できないの。

 しかし敢えてここで、個人的な見解において反論。
 確かに海己の本来の可能性は、彼女の母と航の父の愚行によって潰されてしまったかも知れない。だが彼女は、本当に前に進めない、停滞してしまった子だったのだろうか? 彼女以外のシナリオ (特に凜奈シナリオ) からはそんな空気は感じられない。航は海己と手を繋ぎ共に歩くのでなく、海己の先を進んで希望を見せる役割を持っていたのではないか。誰にも正しい生き方を示されなかった海己の為に、親として進むべき道を見せてやること。それが最善の方法だったのではないか、と。
 多分海己は広義での不安障害だと思う。存在を認められないことによる発達障害PTSD的な要素もあるだろうし。人の心の闇は只でさえ深いのに、精神的に成長する前に親によって傷が与えられた。凜奈シナリオではその海己に、ネバーランドの終焉を語らせるのである。何たる仕打ちだろうか!
 しかし海己はやり遂げた。彼女の成長が示されるのはここだけじゃない。会長シナリオでは航の苦しさを受け止め、静シナリオでは航を張って静を諭した。航が前に進もうと足掻いているのに海己は何も出来ずに、とはならない。海己は自分の成長のために、自分で答えを探す。今まで頼ってきた航に恩返しをするために背中を押す。海己が強さを自分で獲得したなら、航は、静の成長を寂しがりながらも祝福するように、受け入れてゆくでしょう。

それじゃあね…さよなら、航。

 海己は物語の要素・ギミック的には真のヒロインではあったが、海己シナリオは彼らのあるべき姿では無かったのかも知れない。それでも、あくまで 「世界」 と戦うのなら必要な側面。つぐみセブンの理想の道は多分、凜奈シナリオから 「約束の日」 に繋がる流れで、だからこそ凜奈が表ヒロインだったのでしょう。全員の成長のために、全員が仲間であるために。
 (過去作の話になりますが、今 『パルフェ』 のまー姉ちゃんシナリオ / 里伽子シナリオをプレイすると、海己シナリオと同様の感想を持つでしょう。もちろん、理想へ向かう最善の手と心情的に望まれる結末は違いますが)

背負われたい…
ずっと、いつまでも、航の、お荷物に、なりたいよぉ。

もう…なってたじゃん。
お前は、俺のお荷物で、足枷で、障害物で、そいで、俺の一部で、半身で、全部だったじゃん…

 ウザくて面倒臭い海己は、幼馴染みの特権である歴史的背景を手に入れることで最高のバランスになる。今まで何も求められなかった海己から求めさせる構図を作るとか、幼馴染み好きとしては完全に白旗。学園祭の暴走も、後夜祭のウェディングドレスも、ともすれば冷めた観客の立場になってしまうのですが……既につぐみ寮に入れ込んでしまっている読み手は、つぐみ寮の象徴である海己を絶対に許す。

だから…わたしに、帰る場所を、ください。

 余談。後夜祭のウェディングドレスを見て 『勇者王ガオガイガー』(TV版) の最終回を思い出し、頭の中で名曲 「いつか星の海で」 を歌いつつ、二人が結婚したら星野海己になるなぁと思ってたらホントに同じ話が出てきて驚く。あくまで変革された世界とその象徴として残ったつぐみ寮が重要で、結婚式の様子を書かないのはこの作品らしい。海己の心が、つぐみ寮が守られたことが、彼らにとっての勝利であると。

銀河に飛び立つ 翼 僕らは信じて
大人になる頃 いつか星の海で


・ 約束の日 ―― Graduation from "our adolescence"

だからわたしは、この石段を忘れません。
だって、16万回の、思い出が刻まれてますから。

静、航になりたい。
静の大好きな、航でいたいよ…っ。

我慢、したくない。
あいつらの、新しい門出を、笑って送り出してやるなんて、そんな、聞き分けのいい真似なんか、できるかぁ…

次は………あんたのために。
三本連続で、決めてみせるから、ね。

みんな、記憶に、焼き付いてる。
二度と、忘れることは、ないって、言い切れる。

うん、うん…ありがとう、航。

 あのさえちゃんが格好良く、大人らしく、つぐみ寮の寮生を送る。
 あの会長が泣きそうになりながら、いつも通り、卒寮式を締める。
 そして万感の思いを込めて歌い上げる 「さよならのかわりに」 。
 涙の向こうに、それぞれの道が続いている ――

俺たちの、別れの儀式が、始まった。

 本当に、こっちの胸までかきむしられるような、そんな情景。
 各個別シナリオの最後に残りの人間の未来を描かないのは、それらに 「約束の日」 以上の意味が存在しないからだろう。彼らの共に過ごした時間はここで綺麗に閉じ、大切な思い出に変わる。あまりに締め方が鮮やかだから、つぐみ寮という存在にこれ以上何を加えても蛇足に見える。全てが終わったという意味ではなく、これからを予感させつつ、今までを思い出として胸に仕舞う心の区切り。

今日、この悲しき日に…
約束された、再会の日を、心に刻もう。

 航のN=1発言から、誰かの個別エンド後の話であるのは間違いない。その方向性について。
 海己に対する 「振り向いても、星野はいないんだよ?」 というさえちゃんの発言。海己エンド後ならば、この発言は自然には出てこないと思う。世界を改変する程の大立ち回りを経験して、精神的余裕を手に入れた海己にはこの言葉は必要ない。静は 「航になりたい」 と言う。両親と航達が完全に和解してるなら、このような心配はさせないだろう。会長は航を自分の中の思い出に変え、自分の存在も航の中の思い出に変えてしまう。さえちゃんは恋人休止宣言後なら 「思い出があふれそうになったら、わたしにつきあってね?」 は反則になる。宮は微妙ですが、石段を登られないのはやっぱり、かな。
 以上の理由では消極的ではあるものの、凜奈シナリオが一番妥当に見える。 (凜奈シナリオ各所にも匂わす記述アリ) 凜奈は三日前のツール・ド・南栄生で島との別れの儀式を済ませ、 「約束の日」 につぐみ寮の庭で仲間達との別れの儀式に挑む。そして皆で作った 「さよならのかわりに」 を合唱する。凜奈エンドだけが、エピローグの一枚絵が二人きりではない事実もあるかな。 (再会としては海己エンドも極上ではあるのだけど)

ひとつずつ思い出す
瞼に映った たくさんの夢たち

 まぁ、そんなことはどうでもいいのです。誰一人欠けることなくこの日を迎えられたことが幸せで、でもやっぱり別れは悲しくて。俺たちの馬鹿みたいに幸せな楽園はこうして終わりを告げました、と幕を引く。各々のストーリーとしては王道・典型的なこの作品がこんなにも愛しいのは、そこに描かれた絆が暖かいから。

ずっと ずっと 輝いてる
消えることはないよ 揺るぎない絆

 「さよならのかわりに」 の合唱で、一番歌が上手いのがさえちゃんってのは面白い。宮は……あー、ちょっと下手なくらいがどんくさい宮らしいじゃないですか。ちょっと下手で合ってない方が味があるし、歌としてよりシナリオ上の意味が重要。最初に会長が泣いちゃうこととか、凜奈が完全に泣き崩れちゃうこととか、海己が最後まで泣くのを我慢してることが、再会を誓う歌として上質だと思う。彼らのこの儀式は作品との別れでもあり、ここまでつぐみ寮を見守ってきた受け手としては、涙せざるを得ないでしょう。

あのとき描いた 約束の場所で
きっと いつまでも 待ってるよ
笑顔で抱きしめるから

 本当に、最後を飾るに相応しい、素晴らしい、グランドエンドでありました。




・ 三田村茜 ―― 10年越しの保険

諦めないもん! 今度はわたしが航くんを救ってあげるんだもん!

 この娘は親を救う妖精、チロルだ。蒔いてから芽が出るまで随分と時間の掛かる種でしたが……個人的には不要と感じられるこのシナリオに、何らかの意味を見出すしてみようと思います。
 まず、つぐみ寮の取り壊し自体を防止できるのはどのシナリオでしょうか。勿論海己シナリオです。署名運動から何らかのアクションを起こしてゆき、茜シナリオでの星野一誠復帰あたりの要素を持ち込んでいった可能性がある。存続させることの現実的な理由なんてどうでもいい、私達は私達のエゴで世界を曲げてみせると海己シナリオで海己自身が語ります。航達7人の寮生の行動原理は社会性を持たない若さであり、それが魅力。
 多分茜シナリオ自体が、誰とも接続されてないままあの一年を終えた後に位置していて、N=1である 「約束の日」 とは繋がっていない。その救済に茜 ―― 逢わせ石の本来の所有者をあてがったのでしょう。しかしつぐみ寮取り壊し後の救いになるので、どうしても据わりが悪い感じは残る。つぐみ寮の皆が守ったのは只の象徴としての建物ではないのに。
 (実は、さえちゃんシナリオにもつぐみ寮取り壊し阻止の可能性は大いにある。宮を通じてスキャンダルを然るべき形で流出させる、という会長の脅しを正確に実行することで。南栄生島程度の規模の開発で利権争いが明るみに出れば、大手建設会社はあっさり手を引いてくれることでしょう。 (つぐみ寮の土地自体は学園のモノなので、具体的に取り壊しを阻止できるかは宮のねじ込み次第なんだろうけど) そういう意味でさえちゃんシナリオは、自分たちの尻拭いを発端につぐみ寮の存続まで左右できる、規模の大きいものなのです。ええそうですとも。だからもっと敬うべき……でもさえちゃんは舐められてナンボのような気がする、のだった)

うわ〜ん!
わったるくんわったるくんわったるくんだぁぁぁ〜!
会いたかった会いたかった会いたかったよぉぉぉぉ〜!

 茜シナリオは物語全体に対する配置点 (「約束の日」 終了後限定) も問題で、あの合唱を聴いた後のプレイヤーには酷すぎる仕打ちだ。だから茜シナリオをどうしても入れたいのであれば、凜奈シナリオ以後・海己シナリオ以前に配置すべきだと思った。里伽子を攻略するために一周分辛い展開が待っていたり、香奈子さんを攻略するためにチロルエンドを挟む必要があったことを思えば、茜シナリオを踏み台にして海己シナリオを強化・完全なるハッピーエンドへ ―― でも良かったのではないでしょうか。
 (しかし茜シナリオでつぐみ寮が取り壊された後海己シナリオを見せられたら、非常に複雑な気分になりそう。単純な話、エロ無しの親友スタンスを貫けば違和感は少なかったのかも。完全にこの違和感を拭い去るには、アナザーシナリオとして四月の時点で茜に入寮してもらうしか思いつかない。シナリオまるっと書き直しの上完成度が下がりそうですが)

そっか…そっかそっかそっか〜!
それが、航くんの 『つぐない』 なんだね?

 やがて来る別れの残す傷、自分の非力に対するやるせなさ、踏み越える勇気はこの作品に調和しないモノではなく、ただ幸せが続くことを予感させてはならないんじゃないか、とも考えましたが……つぐみ寮という最大の要素を共有できない時点で彼女の旗色はかなり悪い。つぐみセブンの前には、 「10年前の逢わせ石」 なんて美味しいアイテムも効果が薄い。こんなにも厳しい立ち位置の過去持ちキャラはそう居ないのでは?
 (航が茜を、チロルのような救いを必要としなかったのは、共に戦う仲間がいたからなんでしょう。しかし驚くべきはCV:鷹月さくらの声優力。この人はハイでもローでも純粋に演技が上手い。キャラとしては実に素晴らしいだけに、活躍の場が少ないのが残念でなりません。FDが出たらそれこそ八面六臂の大活躍をしそうだ)




・ 個人的な話 ―― "Die Gemeinschaft"

ほ〜れほれ、何でもいいから。
落ち着け、笑え、そして泣きやめ。
ここには、お前の欲しかったものが全部あるんだぞ。

 情景描写に依らず人の心の繋がりを強く描くことで、誰の心にも存在しない、アンリアルなノスタルジーさえ生み出す力がこの作品にはあると思うのです。今回のこの文章の中で海己エンドが正史だとしていないのは、本当に仲間達を描いたのは1章を含む凜奈シナリオだと思ったから。2人と5人では終わって欲しくない。俺の中でこの作品は凜奈シナリオから繋がる 「約束の日」 で終わってます。茜シナリオがなければ完璧だったのになぁ……ただそれが残念。

まぁ、なんて言うか…
『かまってくれなきゃグレちゃうぞ』 っつ〜か。

 今回は 『パルフェ』 とは違いCVにも恵まれていて、特に凜奈の声と演技は秀逸でした。 (『同級生』 経験者からすると思わず吹き出してしまうキャスティングですが) 会長だって通常シーンではオバサン臭い悪いと思わないし、紫苑みやびでハマり役だと感じたのはかなり久しぶりかも。宮や静はもはや定番芸の領域。北都南はロリが合うと思ってるし、草柳順子は 『月は東に日は西に』 の美琴とか 『らくえん。』 の生意気でない方の妹とか、高すぎず低すぎずのテンションがピッタリだと思います。
 (方向性としては、 「可愛く甘えられる」 声質の人を集めたのでしょう。恋愛についてはとにかくダダ甘な作品ですから。その点で会長は 「際限なく甘やかす」 立場として、あの声だったのではないかと。某ハーレムアニメの宇宙人のように)

移りゆく景色の中で
同じ道を歩いてきた

 おそらく、なんだけど。
 この作品は誰かが述懐した物語だ。OPの段階で写真がセピアなのは、既に数年が経過しているからではないか。 (もちろん、個別エンドはゲーム的演出として) ウィリアム・エルガーが遺した日記と同じこの物語を思い出しているのが航なのか、海己なのか、会長なのか、宮なのかは分からない。あるいは全員が少しずつ語る、断片的な記憶の集合か。 "adolescence" ―― 青年期を脱してしまった彼らが思い出す、騒がしい靴音の響くあの日々。しかし、誰かの口から大切な思い出として語られるから、この物語は雑音を持たず、無限の美しさを持っているでしょう。

そっと そっと 受け止めてく
かけがえない日々が なにより宝物

 いつも彼の作品に対してコメントする時のスタンス。
 特別驚く仕掛けが多数用意されてるわけじゃない。かといって完全なありきたりには決まり切らず、絵や音楽や演出に頼りすぎるワケでもない。文字だけ見ると微妙にクセのある文章が、読み上げられる度に楽しくなる。当たり前に描かれる理想の関係と、刻まれた短めのリズム。予想はちょっとだけ外して、でも本当に期待してることは外さない。そんな不思議なスタイル。この作品だって、基本的には古典的で恥ずかしい演目だ。でも今そんなことができるの、エロゲしかないんじゃないか? だから、ちょっとだけ世間からズレた我々はこの作品を好きになるし、いつまでも見ていたいと願う。

心から贈る 「ありがとう」

 ……長々と与太話を続けてきましたが、それもお終い。感想を書き終わることすら惜しい! これほど物語の結末を鮮やかに描いた作品が、このような感情を励起するとは不思議なモノだ。最後に、この作品を生み出した全ての人達に贈る言葉はただ一つ、心からの 「ありがとう」 の一言を。