Navel 『SHUFFLE!』 感想 ―― 両手いっぱいの花束を

原作ゲーム版の感想。各メディア版の呼び名としては原作版、アニメ版、小説版という分類で表記しています。名前の横のカッコ書きの中身はそれぞれのキャラに適応した花言葉です。また、これを書いた段階でアニメ版は第20話まで進行、コミック版・PS2版は未経験。その辺りを前提として軽く読み流して下さい。性質上キャラ別の話だけで事足りると思うので共通部分は無し。20KB弱、ネタバレ有り。




・ リシアンサス ―― 存在の耐えきれない軽さ 「希望」
 登場シーンが神王と魔王に食われてる時点で予想していた通り、設定を裏切る地味キャラ。シアとネリネは対照的に見えて相当キャラが被っている (そもそもシアとネリネは従姉妹である不思議さ! 冷静に考えると凄い。) 上に、献身キャラとしては最強に近い楓の存在が空気化に拍車をかける。シアとネリネは個別ルートに入ってからの展開に重点が置かれているように思う。

つまり、どっちもなくっちゃダメってことかな。
晴ればっかりでも飽きちゃうし、雨ばっかりでも疲れちゃう。

 双子神 (ヤヌス) としてのキキョウとリシアンサス。アニメ版の表現を見る限り、胎児の段階では双方が生存している。生まれた後に王家の手によってキキョウが殺され肉体が失われたとしたら、シアの存在に二人が重なるのは不自然。やはり魔法の類で生まれる前に存在を消されたのか。 (決して一つの肉体に二人の精神が宿っているわけではない)
 (小説版では、生まれた時点から一つの存在に二人の肉体と精神が宿っていると説明されている。ヤヌスの記述もそこから持ってきたけれど、二人の心理から考えると ふたご座の神話・カストルとポルックス の方が近いね。神族と魔族のハーフという出生の境遇からしても。)


 見所はやはり名付けのシーン。外部から観測されない存在に与えられるものは、与えるべきものは何か? そう考えた時に、名前は個の始まりとして大きな意味を持つ。楓との再度の約束やプリムラの記憶を取り戻すシーンと比べても強力であり、原作中で稟の能力が最も発揮されるのはこの場面かと思わせる。これが稟にとって本当に 「当たり前のこと」 だとすると、土見ラバーズなんて非常識な概念が発生するのも理解できる。
 キキョウの要求は全てが正しい。自分でない誰かの人生の上で生きることはできない ―― 自分を規定できない虚しい存在。存在したいという実に根源的な欲求の発露、それはネリネのやり方の否定にも繋がっている。シアは最後の一つ、キキョウにとって唯一の存在がシア自身であることに気付けなかった。そこを稟が名前を与えることで救ってみせるという絶妙なイベント。これだけでシア編は充分に魅力的だった。
 (贅沢を言えば、キキョウを独りにしてしまったシアを稟が叱り飛ばして表に引っ張り出してくれればもっと良かったと思う。エピローグでシアとキキョウが共存するようになった理由は微妙に描写不足だったから。)

あたしは何もしていないのに! ただ生まれてきただけなのに! なのに、みんながあたしを拒否する! 忘れようとする! そんな世界いらない! 誰も、何もあたしを見てくれないような世界、いらない!!
あたしは、シアじゃない!!

 (キキョウの扱いはアニメ版と原作では雲泥の差がある。アニメ版では一発勝負で出てきて、名付けられることなく、共存することもなく消えていってしまう。アレは流石にあんまりな仕打ちですよ。ネリネや楓のアレンジが素敵な分どうしても二人が不憫だ。小説版では神界と魔界の間の軋轢や障害が重めに書かれていて二人の問題はより大きくなり、こちらはこれで面白い。PS2版では分離エンドもあるらしいが‥‥‥)
 (どうでもいいけど、今まであおきさやかの声は 『Wind』 のウザ眼鏡で代表されていたので、今回イメージが更新されて助かった。アニメ版でのキキョウ・シアの演技もかなり良かったように思う。パッと聞きでは微妙に思えてしまうかも知れないけど、慣れてくると味わい深いというものです。)




ネリネ ―― 二人で奏でる天使の鐘 「幸せな思い出」
 ネリネについては、 『Tick! Tack!』 の感想 を読んでもらえれば充分な感じがあるので簡単に。

ネリネは唄う。託された想いと愛を、生きる喜びを、命の続く限り唄い続ける。

 ネリネのエンディングの意味に気付かなかった人は実に勿体ない。ネリネが歌えるかどうかは、ネリネリコリスの遺した願いを受け入れられるかどうかに懸かっている。ネリネリコリスになろうとしてなりきれず、リコリスの願いに本当に同調したのは稟。停滞しているネリネリコリスの願いを届けられるのは稟しかいなかった。そうして歌われる 「In The Sky」 はネリネリコリスの歌。リコリスが生きた証、リコリスネリネに託した想い、ネリネリコリスからの感謝の歌。一番はリコリスが再会を夢見て歌う歌で、二番が稟と共にいられることを感謝する歌。大切にしまわれたリコリスの願いや想いごとネリネを愛してやることが、この二人の歌を取り戻す鍵だった。
 (この構造はどこかで‥‥‥と思い返すと、三人の恋愛における一対二のケース、一人を二人で救済する例に近いのか。一人は既に失われているけれどそう考える方が自然だ。 『Tick! Tack!』 をプレイしているだけになおさらそう思う。)

ガラスのゆりかごの中の 伝えられない言葉さえ
受け止めてくれる貴方と 夢の続きを

 ネリネの名前には 「幸せな思い出」 、リコリスの名前には 「悲しい思い出」 という意味が託されていて、相反する二つを内包することになるネリネとシアはよく似ているように見える。しかし、シアの場合はキキョウとリシアンサスがリアルに存在するのに対し、ネリネの中のリコリスという少女はもう失われてしまった存在。リコリスに会うには 『Tick! Tack!』 まで待たねばならない。既に完成されているネリネシナリオだが、それをより完璧なものにする為にも 『Tick! Tack!』 は是非プレイすべきだと思う。
 (もちろん 「ネリネが好きなら」 と但し書きが入るが。ネリネに思い入れの無い人はやらない方が無難。)
 (しかし土見ラバーズの中ではどう贔屓目に見てもネリネは空気。シア共々 「親の方が存在感がある」 と言われているだけのことはある。その分個別ルート終盤の盛り上がりは楓や亜沙先輩よりずっと大きい‥‥‥と思うんだがそれこそ贔屓目か。 「In The Sky」 がネリネリコリスの歌であることにも気付かない人が多かったくらいだから、全然注目されてないのだろう。どこをどう切っても可愛らしい娘なのに、実に嘆かわしい。)




・ 芙蓉楓 ―― 鎖の様に重い愛 「しとやかな恋人」「遠慮」
 「ずっと一緒」 は稟を縛る約束。縛ってどうにかなる運命の男ではなかったが‥‥‥少なくとも、序盤で稟が亜沙先輩を恋愛対象じゃないと言い切る要因の一つではあるだろう。自分がかつて守った女の子を置いて誰かの元へ行けるのか、という負い目を作ることができる。

愛しています。ですから‥‥‥私を好きにならないで下さい。

 結局稟も楓自身も楓から稟への一方的な愛情は理解していて、楓ルート以外の状態では稟はその愛情を受け入れられない、としている。また、楓はその愛情を受け取ってもらう価値のない物として抑制している。打算を持ち込んでなるものかと踏み留まる楓はやはり一番稟を愛しているのかもしれない、と思う。凛に愛されているかどうかは別として。
 (面白い話だが、原作の稟は楓の愛情を冷静に分析している。感情を向けてくる相手に対してクールになれるという資質がすなわち、誰にでも当たり前に気を配られるという性質を導き出しているのではないだろうか。同時に、楓に恨まれていた過去の影響も無視できない。楓のことがあったから敏感になった、と稟自身語っている。)
 本当に楓が、自分自身を救う為に稟に尽くす心理を否定したいのであれば、明確な宣言を以て稟への依存を止め、独立した人間になるべきだった。稟もきっとその形の方が安心するだろう。が、その為には楓は今までに色々な物を失いすぎている。孤独への不安、自分から独りになれるはずがない。贖罪ではなく自分への断罪だと楓は語るが、今でも残る孤独への不安からも楓は稟から離れられない。失うことへのトラウマは楓という個性の根幹でもある。
 (稟を恨んでいた時期は、生きる動機はあっても孤独には違いなかっただろう。)

稟くんに愛されることで、自分を許してもらおうとしている私が!
それが、私は許せなかった‥‥‥!

 アニメ版では稟は例外的に、楓にだけはほとんど感情を向けようとしなかった。それでも稟に当たり前に必要とされているだけで心の均衡を保てるはずの楓が、その唯一の条件を奪われると‥‥‥日常を奪われたあの事故の時と同じく崩壊する。アニメ版では事故の記憶の重さ、喪失への不安が大分大きめに設定されていたように思う。原作では事故の記憶より稟を苦しめてしまった過去に重点が置かれている。これはどちらが良いとか悪いとかそういう話ではなくて、製作者の方向性・性質の違いによるものだろう。
 そもそも原作では楓は、稟への愛情に不純な動機を感じることはあっても、決してその中に他者への攻撃性を混ぜ込んではいない。むしろその愛情を絶対に歪ませたくないと願っていて、その為に極めて自罰的である。楓の根幹である失うことへの恐怖とその上に乗せる楓の方向性の違い・稟の愛情への理解の違いが、原作ではある程度素直に身を引きアニメ版では発狂するという違いになって現れた。
 (ビジュアルファンブックのスタッフインタビューで、原作シナリオのあごバリア氏は 「楓は基本的に "いい子" なので、嫉妬して怒るようなキャラにしたくなかった」 と語っている。男性の理想型を目指した書き方をしたそうで、そういう意味でもアニメ版とはかなり違う方向性。)

ひとつだけ変化したこと。それは一方通行だった愛に、帰り道ができたこと。

 (幼馴染み好きとしてはなかなかに興味深い話でした。変わらないでいること、変化していくこと、事象の両面性に関しては 『SHUFFLE!』 の題材はとても優秀だと思います。では何故好きになれなかったのか? それは楓が打算を憎んでいるから。個人的な好みでは打算的なキャラが好きで、その醜いヒトの根源に触れたいと願っている。幼い頃の約束を持ち出す人間は美しさに囚われすぎていて、やっぱり肌に合わない。‥‥‥そしてその自分の最悪な性質によって、アニメ版について 「亜沙を●してしまえばいいのに」 と思ったのでした。バラバラ、バラバラ!)
 (後藤邑子伊藤美紀はやはりゲームよりアニメ向きなんじゃないだろうか。永見はるかとか北都南は多分ゲーム向きだと思うんだけど、一体この感覚の違いはどこから来るんだろう。一対一の恥ずかしいボイスへの適性と周囲と息を合わせた演技への適性による? )




時雨亜沙 ―― 運命に抗う力を 「運命」
 最も平凡な恋愛。稟との関係性は至って普通。 『SHUFFLE!』 の一番人気が亜沙先輩というのは未だに信じられないことの一つ。

あなたのせいでボクは死ぬんだ!

 彼女の自己規定は明確に 『SHUFFLE!』 の法則に従うが、これがどうにも傍迷惑な代物。束縛の強度もこの人が一番強い。あくまで自分で考えた自分しか実現しようとしない罪がどれ程の物であるのかが分かるだろう。彼女の為とはいえ手首を切る稟も稟なんだが、そこまでさせる彼女もひどいというか‥‥‥
 大体、追い詰められてもいないのに命を天秤に掛ける奴にロクな人間は居やしない。むしろここは親子の会話というカタチで綺麗に解決できた場面だと思う。誘導を稟、撃墜を亜麻さんに任せれば墜ちない相手ではないはず。親の愛を理解できるなら、自分の命の持つ力もすぐに理解できるだろう

ボクは人間であり続ける、そう決めた。それが、ボクの出来る唯一の罪滅ぼしだから。

 (稟に亜麻さんの事情を言わなかった点に関しては支持できる、かな。迷惑な癖に妙に可愛らしいのが何よりの罪だ。余談だが、カッターで手首を切ってすぐに失血で意識を失うまで持って行きたいなら、表の静脈じゃなく奥の動脈に達するまで刃を突っ込む必要があるだろう。相当な力で切り裂いたのか‥‥‥まぁ、稟ちゃんが意識を失ったのは多分失血じゃなくて痛みと思い込みの一種だと思う。軽く手首を切ったくらいじゃ絶対に死なないことを分かっていて、自分の命を危険に晒さずに流血のインパクトで亜沙先輩にプレッシャーを掛けようと稟が判断していたとすると、それはまた面白い話になる。これは個人的な理想。)

だけど俺は聞かなければならない。その想いを知りながら、ひたすらに逃げてきた卑怯者として。その想いを聞かなければいけない。

 楓にとって、自身の全てを掛けた献身をもってしてもなおこの人から稟を守ることが出来ない事実は、酷く衝撃的だったはず。シアやネリネというイレギュラーに負けることは許されても、この人に負けることだけは許されない ――― どこかでそう思っていたのだろう。亜沙と楓は日常を代表し、シナリオの核もよく似ている。亜沙先輩ルートでは楓の過去がある程度明らかになる事実を見れば、上位互換と言ってもいい。
 そしてそれは亜沙先輩ルートだけで見られるあのイベントに繋がる。楓との約束に止めを刺す公園での会話。楓と亜沙にとっての恋の決着はやはりこのシーンに収束している。切り捨てを要求する、 『SHUFFLE!』 の世界に背いたこのイベントを受けても、アニメ版のように亜沙を呪うことなくギリギリの状態で祝福してみせる楓はやはり "いい子" としか思えない。
 (楓は贅沢なことを要求している、という主張も分かるけど。自分から何も出来なかった楓が一体何を言える? 約束を拠り所にする人間は変化に弱く、変化がベースになる亜沙先輩に敗北するのは必然だったと考えるとアニメ版に近くなる。アニメ版では楓はプリムラに諭されていたね‥‥‥)




プリムラ ―― 反転衝動 「運命を開く」

一度たりとも使うことが出来なかった魔法。都市を一瞬で消滅できる魔力の持ち主が最初に使った魔法は、すべての傷を癒す治癒魔法だった。

 どこかのロボアニメのツインテールで無口な人工生命体とは一切関係ない。
 命の研究の為に命を造り出すという最高の矛盾と、成功例から模索するやり口。奇跡を利用して、奇跡を解明して、奇跡を操ろうというのは科学の基本。ラストの展開は無茶苦茶すぎるんだが、読者補正のおかげで樹の言葉に思わず納得してしまいそうになる。こういう終わり方が一番 『SHUFFLE!』 らしいのかも知れないな。
 (樹の見せ場はここしかないが、麻弓の見せ場はそれ以下‥‥‥この辺が改善されてるのであればPS2版にも価値はあるだろう。)

プリムラは表情の出し方を知ったけれど、その隠し方や偽り方まで知っているのだろうか。

 後半の妹キャラ化には賛否両論らしい。話の流れからすれば決して理解出来ないわけではないけど、受け手の心理として複雑であるのは想像できるだろう。しかしこの妹化には少し興味深いところがある。妹化してしばらく後、家で稟とプリムラがイチャつくシーンで楓が見せる苦い表情。原作版では他の人に稟を奪われることに関してあまり感情を表に出さない楓が何故ここでその顔を見せるのか? それはプリムラが楓にとって唯一の拠り所である家庭に踏み込んで、楓だけの領域だったはずの芙蓉の家に踏み込んでいるから。プリムラの存在自体は容認できても、プリムラの急激な変化に楓が対応し切れていない。
 (これはアニメ版では亜沙先輩が担当している部分であり、楓が発狂した時にはフォロー役に回っていたプリムラが原作では逆の役割をする。まあ、最終的には楓も稟とプリムラの関係を認め、その上でハーレムへの道を着実に進んでいくことになるけど。)

名前、呼んでやれないっ!

 ビジュアルファンブックによると西又御大お気に入りのキャラで、やはり一般的には無表情バージョンの方が人気があるらしい。プリムラ (西洋桜草) の花言葉には 「無言の愛」 というものもあるが、公式では 「運命を開く」 の方が採用されている。執着を持ち、自分の意志で決める未来がプリムラのストーリーの到達点。決して無言のままに終わらせるものではない。
 (アニメ版のプリムラ編は魔界突入や暴走未遂など見せ場が多く、家族として受け入れる流れもネリネと絡めて良く出来ていた。しかし楓編に入ってからのプリムラといったら‥‥‥家を省みない稟、発狂する楓に挟まれて大変なのに、誰からも気に掛けてもらえないまま。ここはネリネによるフォローを入れるべきだったと思うのですが。)




・ 土見稟 ―― 花咲く土壌

昔から我慢することだけは得意だった。数少ない取り柄の一つだ。

 アニメ版の印象だと分かりにくいが、稟のコンセプトは 「当たり前のことを当たり前に出来る」 いわゆる完璧超人。行動選択のレベルではかなり早い段階、シアとネリネが転校してきた次の日には第一のヒロイン選択が終わり、以後は (外部からの介入はあるが) 基本的に一人を追いかけることになる。原作中ではアニメ版のように中途半端なことをしている印象はない。

正直、寂しいって気持ちに敏感だったんですよ。楓とのことがあったから。

 個人的には実に主人公然とした主人公に見えた。頭の回転は速度重視ではなく質重視だが、行動の回転はかなり速いのが怖い。特に亜沙先輩ルートのあの行動を見る限り、若干沸点の低い人なのかも知れない。全体として後半になるとヒロインが稟を置いて暴走気味になるので、彼女たちの構築する歪な自己規定を正常化するには多少の無茶も必要だろう。
 (ところでやっぱり 「稟」 は植物三大栄養素のリン (P) から来ているのだろうか。窒素やカリウムでは名前にし辛そうだ。)




・ サブキャラ ―― 土見ラバーズ予備軍

まままぁ♪

 カレハ先輩・麻弓は公募からデザインを決定した上にあれほど稟に絡むのに攻略キャラではない、という時点で 『SHUFFLE!』 が家庭用への移植前提であることは自明。実際はかなり後、アニメ化に合わせる時期に移植されたが、アニメ化まで視野に入っていたのだろうか。それとも移植前にアニメ化の話が来たから移植を遅らせた?
 カレハ (枯葉) にまで花言葉があったのには驚いた。 「ロマンチック」 という意味があまりにストレートすぎる。タイムの花言葉は公式で 「あなたの魅力を胸に刻む」 。PS2版のシナリオを知らないだけに込められた意味は分からないが、 「行動力」 の方が合っているような気もする。ちなみにバーベナ花言葉は 「家族愛・魔力」 、神王・ユーストマトルコギキョウの学名、魔王・フォーベシイはネリネの学名。パッケージなどで多用されてる向日葵の花言葉は 「あなたを見つめる」 で、 『SHUFFLE!』 の世界を象徴するに相応しい花。


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・ 個人的な話とか
 今回はアニメ版で衝撃を与えてくれた楓に注目した感じでお送りしました。
 原画の違いは覚悟と耐性があったつもり‥‥‥でもやっぱりきついわ。鈴平絵もクセが無いわけではないけど、西又絵はもっと違う次元で色々と難しいと思うんだ。音楽は保証済みの質の高さで、中でも 「In The Sky」 は数あるSHUFFLE関連楽曲の中でも一、二を争う名曲。声の方は原画と同じくクセがあり、ダメな人はダメかも。CVだけで言うならカレハ先輩や麻弓、神王・魔王がイイ味出してる。もちろんネリネも。
 (友人に 『SHUFFLE!』 を薦めたら 「西又絵は良いけど鈴平絵がな‥‥‥」 と言われて衝撃を受けたことも記しておく。)


 常に 「約束」 に挑まねばならない自分としてはやはりネリネがお気に入り。自分を取り戻すというモチーフはひどく魅力的である。実際のところ各ルートは似通っていて、全ては境遇による自己規定の打破。亜沙先輩、シア、楓、共に構造は大体同じと言っていい。プリムラは若干特殊だが、それは当初サブキャラである予定だったからだそうだ。ストーリーはともかくラストの演出は良かった。
 亜沙先輩ルートの 楓 vs 亜沙 という構造自体はアニメ版と同じ。しかし、他キャラルートの裏側ではアニメ版のようなことが起こっているに違いないと考えるのは早計。繰り返すが、アニメ版と原作では方向性がかなり違う。 『SHUFFLE!』 の暗部を彼女一人に押し付けるのには疑問がある。
 そう、個人的に亜沙先輩や楓が好みでないというのもあるが、公園での直接対決に関しては稟が直接止めを刺すべきだったと思う。約束は約束を結んだ当人同士の間でのみ完全に破棄される。その決着は決して 『SHUFFLE!』 らしくはないけれど、殲滅戦を好む個人的な性癖による。それなら別のゲームをやれって? ごもっとも。


 究極の後日談として、 『Tick! Tack!』 で出会ったネリネの母・セージやシアの母・サイネリアから、現代と過去を繋ぐ出来事の話を聴けたら面白いなと思った。ネリネを産んだ後のセージは亜麻さんと立場がよく似ているのでその辺りでキャラ同士を繋いでみるとか、あの明るかったサイネリアが双子を身籠もったことでどれだけ苦しんだのかをシアとの親子の会話・ユーストマとの夫婦の会話として表現してみるとか。蛇足なのは分かってるんだけど、この世界観を好きになった者として知りたいと思う。そしてハーレムエンドも是非見てみたい、と思うのだった。 (そういう意味でアニメ版には期待している。)




・ 余談:土見ラバーズご一行様、一夫多妻の神界へご案内!
 真剣に、土見ラバーズみたいなハーレム的価値をずっと先まで突き詰めた作品ってあるのかな。確か 『瑠璃色の雪』 では中東に移住して云々という話があったと思うけど、ある程度現実に寄せた結果感情としてアンリアルだ。 『SHUFFLE!』 の世界観だからこそ、リアルなリスクに囚われないで感情の価値を考えることも出来たんじゃないか。原作の稟は一途だから難しいとは思うのですが、そこはファンの願望ってことで一つ納得して頂けると助かる。