今日の一言コメント

ヒロインの死にまつわる問題。 果たして死が作劇上の一手法であり、ヒロインやそれを取り巻く環境、事象、言い換えれば物語世界それ自体が記号の塊であるという点に反駁する必要があるのでしょうか? 物語とは、ある事象をある観点で認識しようとするとき、現実にあっては目を背け得ない不純物を取り払うことを許す装置である点にその存在意義があるのだと考えています。 突き詰めれば物語が現実に追従するのではなく、現実が物語を追認すればいい、という元長的な世界観に展開してしまうのを承知で言いますが、想像力とは記号から現実を再構築する能力ではなく、記号から物語という現実とは別個の世界を認識する能力なのではないかと。

そう、「現実は物語の上位存在」に土台を置く事自体既に自分の認識からズレる。自分の使った再生という言葉は良くないね。要素を認識し、自分の中に新たに物語が発生する。物語の存在意義かー。その視点は面白いかも知れない。 いつも思うのだけど、このブログを『未来にキスを』プレイ当時に始めていたらもっと面白い議論が出来たかも知れない。時間があればまた突き詰めてプレイしてみるか。

今日のダメ検索
すたじおみりす バグ」 「ipod shuffle 認識されない」 「アンリミ 倒産」

このページに何を求めてるのかなぁ……