アクセス数原理主義はサイトの寿命を縮める?(長くなったので隔離)

[サイト] アクセスの先には  (かーずSPより)
[サイト] アクセス数を伸ばすには良い記事を書き続けていなくてはならない  (カトゆー家断絶より)
[サイト] Yahooトップページのニュースに載ると、アクセスはこれくらいに増えた  (駿河電力/スク水.jpより)
   良い記事を書き続けるのは効果的ですが精神的にも能力的にも負担が大きい。労力と時間を掛けるしかない、というのが今のところ自分の結論。その上の記事の「それにしてもはてなブクマってすごく怖いね」というのは基本的に同意だけど、Webに書く以上は価値のある記事にするべきだという桃井先生の意見も分かる。(Webは世界的な財産であり、それを汚すどうでもいいデータを増やすべきではないという考え)
アクセス数原理主義的に言うとアキバBlogさんは個人サイトの中では最上位に位置するワケで、上を見始めると本当に壁が多く、そして高い。アクセス数向上は管理者の負担を指数関数的に増大させるのではないかな、と思います。ちょっと関連して引用。

(「個人サイトって、押さえきれない魂のほとばしりを具現化させたものだから」ってのは)「サイト運営=自己表現の場」という綺麗な物言いじゃ収まらない、世界中に発信したいっちゅう欲望の塊なんですよ。その原動力は、「アクセスが欲しい」などといった漫然とした目標より、遥かに強い=結果として長続きする、と思います。

と、かーず先生のお言葉を載せておきます。 書きたい事言いたい事が根底にあって、それを見てもらいたい願望が存在する。発信する以上多くの人に見てもらいたいわけで、具体目標的にアクセス数向上を目指す。「不完全な言葉という媒体の中で書きたい事言いたい事を完璧に表現したい欲望 → モチベーション維持の為のアクセス数向上という二段階政策」は良い。しかし「ナーガ現象による手段と目的の完璧な入れ替わり → サイト運営が苦痛になる → 閉鎖」と言う流れはままありますからねぇ。気を張りすぎると続かないのも事実。適度に手を抜きつつ皆頑張れ。俺も頑張る。
(誰も見ていなくても書ける人は小説家とか詩人を目指せるか。ただひたすらに表現を磨く為に力と心を使えるってことだから。それも一種の「強い書き手」?)