天野さんの挿絵描きとしてテキストライターさんに言いたいことの補足

関係様各位のサイトのHit数が割とおかしな事になったらしい。恐るべしカトゆー家&好き好き効果。
何かまずかったんでしたら俺が首を吊るので真っ先に言って下さい。LANケーブル引っこ抜いて吊ってきます。
以下隔離。いざ書いてみたら死にたくなるような文章になった_| ̄|○

皆様反応が激しいので、今更俺が何か言ったところでどうなんだ、という感じではありますけれども。

SS作家って自分の文章に対応する「絵」を持っているのかどうか疑問に思う。 (やまぐうのページより)
  +挿絵のあるなしが文章に影響を与えることはないと仮定しています。


互いになにを求めたいのかで、そういう関係は変わっていくと思います。 (想創力より)
  +「文章と絵」によるコラボレーティブななにか


どっちがどうとかではなくて性質の違う明らかな「異なる」もの。 (日々是良日な日記より)


僕は、文章を書き上げると「手が離れた」と思います。 (うたかたの譚詩曲より)

ほえー。なんかすっげえ壮大な話になってる予感。創作家はこういう事に関して一家言あるものなのか。
関係ないけど、こうやって話題が広がっていく事がWebの真の面白さだ。Web世界を回すのは人間。


文字から文章で作品世界を作る、ってのは個人的には想像出来なかったり。
何かを考える時にグラフィックイメージを骨にせず展開するなんて新人類の技だと思ってます。
基本的に、文章書きは作品世界のイメージを文章というツールを使って表現する人の総称であって
絵描きとはその手段(文章か絵か)の違いしかないと認識していたのですが・・・修正が必要っぽい。
  (あくまでベースは脳内で作り上げられた現象、事象。泉源は人間の知覚全て。
   だから絵描きと文章書きが理解し合うのは割と容易だと思ってました。)
いや、問題はそこではなくて「ある表現者が考えた世界に対して後から他人がコネクトする難しさ」か。
だとすると俺には解けなさそうな問題なので偉い人に任せる。そもそも解決出来るのか?


しかしここで単なる読者、作品に対して最下層の読者として無責任に欲求をブチ撒けるとすると。
読者が触れるのはあくまで挿絵も文章も一つになった状態の作品であって、要素的に単独では有り得ないんです。
要素一つで作品全体を駄作に落とす事は容易であるが、それは自分の手掛けた部分を殺す事になるのではないか。
その作品の一端を手掛けるクリエイターとして参加するなら、同じ表現側に立つ人間の意思疎通を無視するのはどうか。
「文章を書きたい」なら、Whiteさんの言う通り「そう簡単にこれを文章以外にされてたまるか」と挿絵を描かせる隙なんて与えるべきではない。
 (ごく稀だけどこういう文章は存在する。絵を望む読者が現れた時点で負け。)
文章に対して挿絵を入れる意味があるのか。もし無いのなら入れなければいい。入れるのなら無関心でいて欲しくない。


挿絵付き前提で書くなら、もっと絵に寄っかかって書いてみるのも面白いかも知れません。分離するのが面倒だからもっと混ぜちゃえ、という発想。
絵描きの方法論と文章書きの方法論に差があるなら、その差を生かせないものか。
絵と文章がそれぞれ別の切り口から作品を支えてる様な作品が個人的には理想だったり、とか。


ていうかこれに音楽とかって要素を組み合わせればすぐにエロゲ論になっちゃいますね。
何か殆ど脊髄反射とか一般論で片付けてるような気がして軽く鬱に。ダメだこりゃ。
でも何か書かないと気が済まなかった。カッとなってやった。今は反省している。関係者の方々に謝りたい。