minori 『ef -the first tale-』 感想 ―― 身を刻む絆

 とりあえず『ef』の感想を提出。あらすじ的な部分はすっ飛ばしつつ、何だか異常に私怨が籠もっている上にまだ前編なので肝心の部分は詰められず。まあしかし充分楽しめたし、後編への期待度はさらに高まりました。ネタバレ有り、読み返してみると景の話しかしていない10KB。
・ 第一章 ―― 自由

もしかしてわたしってウザい?

 彼らはゲームのキャラとして純化されてはいない。そういった作り方も今では決して珍しくもないが、どうもこの作品が人を選ぶのは彼らが「愛されるために書かれていない」からではないかと思う。この点で『ef』と対立してしまうと多分もう二度と戻れない。おとぎ話を名乗りながら、汚い部分を充分に表現してしまう。これはもう創り手側のスタンスの問題であり、解釈では曲げられない部分でもある。

そうよ、無理だとしてもあきらめるわけにはいかないの。悪いけど、年季が違うんだから。

 幼馴染みの成れの果て、というモチーフも今では一般的になった。居心地の良い関係は、壊した瞬間に極上の痛みを演出する。しかしここまで徹底的に痛みを見せつける作品は多くないだろう。壊れかかった景をさらに痛め付け、原形を留めないくらいに壊す。そしてそれが確かな根拠を持っているのが実に憎らしいのだ。

抱いてもらった……? それがなんなのよ。それがどうしたっていうのよ!
そんなことぐらいで、勝った気になってんじゃねえよ!

 そう、ただ理不尽に不幸が訪れるだけでは足りない。願うだけの人間の手が何を掴み取れるというのか、と思い知らせる事。みやこという圧倒的な力は、景のような弱者を絶望に叩き落とすには充分すぎた。一個人として見比べればみやこの性能は非常に高い。環境から観察を、経験から努力を引き出しせるし、そして何よりコストが安い。自分だけを見てくれれば相手に全力を尽くす、という性質は愛される資質でもある。

俺はもう選んでしまっているから、後戻りなんてできない。

 正確な観察によって紘を掠め取ったみやこ? 自分を見ない努力で自壊した景? ほとんどの人間関係において、「誰が先だったか」は結論となり得る。(人に義理という感情がある限りは!) もし第一章に人生的教訓を見出したいのであれば、人は組み合わせでなく順列に縛られる原理に行き着くだろう。(そんな無駄なことをする人間は少ないと思うが)

大事にされないのなら、あたしは誰とも関わりたくない。

 景は本当に魅力的でないように描かれている。紘を手に入れたみやこを憎んで、みやこを選ぶ紘を憎んで。積み上げてきた自分を否定しない/否定させないために誰かを好きでいることは、基本的には歪んだ行為だ。歴史に頼りすぎた景は、屋上で「敗北宣言」をしてしまった。景がその努力で証明しようとした責任は、自分の中の本質を探す紘にとっては押し付けがましく、捨て去るべきものだった。

そうか。わたし、負けたんだ……
負けたんだ……

 彼らは集団として機能していないし、彼らは自分しか見ていない。誰かの為にという理屈は存在しない物語。それぞれが自分の理屈を手に戦って、自分で結論を出す。かといって我を通す強さがある訳でもなく、環境に振り回される辺りも心情として弱い。そう、相変わらず "弱い" 物語だ。

帰りたいよ……。お兄ちゃんとずっと一緒にいられた頃に……わたしのお兄ちゃんでいてくれた頃に……

 このような台詞が出てしまう辺り、景は物語が始まった時点で負けてしまっていたのだろう。前に進むことしかできない紘と、過去を振り返ることしかできない景の関係はもう終わってしまっていた。もはや形式だけになった繋がりから新しい世界を求めて動き出すには、少し遅すぎた。景が閉塞し孤独に傷付く姿にこそ、第一章の真意はあるのだと思う。

そうだ、約束をしよう。
それはお互いを縛るものじゃなくて。
信じ合っているから交わされるもの。

 みやこという少女の物語は実に平凡な、しかしなかなかに愛しい話だ。みやこと紘がシンプルな人間になるまでの話、とも考えられる。優子が紘とみやこについて干渉を止めたのは、優子の役割が音羽に関わる何かを守る役目を持つから? 過去作『Wind』の彩を思わせるが、その辺りはやはり後編まで待たねばならないのだろう。

でも確かになにかが動き始めていて、あたしと紘くんと景ちゃん――3人がその渦中にいる。


・ 第二章 ―― 再生

冬までのわたしは未来を恐れ、今は過去に縛られている。

 努力の歴史を失って、景が何処へ安定してゆくのかを見守る話。みやこを否定しようとした景が、みやこと同じように喪失を埋められてしまう姿は滑稽にも見える。しかし景の心について「変わってしまった」と見るなら、その人はみやこや紘をどのような目で見ていたのだろう。

あんたは、人でなしなんだわ。というより、人間じゃないみたい……

 京介の視点は悪趣味な読者の視点でもある。考えようによっては、景が救われたことこそが最大のおとぎ話だとも解釈できるだろう。みやこと景の対立関係において景が破れるのは必然だが、景が再生するプロセスにはそれが見えない。紘との特別な関係を失った景が "誰でもいい" 京介を選択して正常化されるのなら、人はどんな絶望からでも立ち上がれるはずだ。それを希望以外の何と呼ぶ? ただ希望がいつも美しいとは限らない。どうしようもなく訪れてしまう忘却とか、風化とか、そういう事柄とも繋がっているのだ。

突然、頭が沸騰する。かつて感じたことにない激しい怒りだった。
「謝られる筋合いなんて――そんなもんないわよ!」

 どちらかと言えば、みやこ相手にやり合っていた頃の景の方が好きだ。魅力的ではないにしろ、傷口から腐臭漂うほどに苦しみもがき続ける景はどこか古い記憶を揺り動かす。理屈ではみやこに勝てるはずもない景に、もう少しだけ熱量があったら、紘とみやこをその理屈ごと圧し折ることができたかもしれない。紘と一緒に燃え尽きて死んで欲しかった ―― と言うと誤解されそうではあるが、紘の責任を考えると二人で堕ちてゆくのもまた一つの答え、とは思う。

もしも、広野が君と付き合っていても、いつか宮村が現れて君から広野を奪っていったと思う。

 これほど安易な救いの言葉があるだろうか! どうせ敵わなかったんだ、あれは酸っぱい葡萄なんだと言い聞かせるような口調は、決して痛みにはならない。だから中盤では前に進んでいるように見えて、何も解決されていなかった。救う役目は雨宮優子に委ねられ、彼女は景を焚き付ける。

甘えてるんじゃないわよ、お嬢ちゃん。

 諦めろと囁くことが救いになる筈がない。それぞれは絶対的に他人だから。かつて景が紘と共にあった時代のように、前に進む人になることを、前に進む人に惹かれるように再生されてゆく。もし景が美しくなったように見えたのだとしたら、それは彼女が捨てられたことで自由になったからだろう。景が選択的な関係を手に入れた時、もう終わってしまった歴史に幕を引く役として京介が選ばれた。そこに必然性はほとんど必要ない。ただの偶然で、運命と呼ぶには普通すぎる物語。

戻ってきたって……仲間になんて入れてやらないから。

 あれだけ周囲をかき回して、実際は映研の部長である泉が一番苦労するのだろう。彼女のような人間ばかりなら、この『ef』という物語は始まりもしなかったに違いない。創作という遠い夢、完成されていない人格が作り出す世界に、苛立ちと懐かしさを感じる。彼らの動きは勝手で論理的に解析するには少々辛いが、観客として心中に喚起されるものは多かったように思う。




・ そしてlatter taleへ

巡り会う 時を越え  二つの手 重なる

 受け継がれる成長と屋上の鍵。手を重ねる描写が多いのは、ムービー・OPの詞にもかかっているのだろうか。夕と優子の一度目の再会は屋上であって、再び二つの手が重なるのも屋上。みやこと紘も景と京介も、お互い同じように屋上で手を重ねている。 "究極の屋上" などと言われるムービー、街という括りとそれらを見下ろす屋上。数多の創作に用いられてきたファクターとはいえ、ここまで前面に押し出す作品も少ないだろう。

この街の人たちに――優しくしたいんですよ。

 今回注目すべきは素材の使い方。とにかく背景美術に関しては溜息が出る程に美しい。これだけ手間を掛けて街のセッティングを完璧に行い、その上でこの前編ではあまり大きく使っていない。前編と称してはいるが、むしろ導入編と考えた方が妥当か。正直なところ今回の二組の男女にまつわる話は二つの "例題" でしかないように見えた。今回のfirst taleではムービーがエンディングとして使われているのもその印象を強める。優子はずっと教会で待っていて、そこに夕が訪れるのだから、夕を音羽へ誘導したという千尋の話から物語は動き出すのだろう。

ここにあるのは、もう終わってしまった過去の残骸だけです。

 安定した足場を得て、定着してゆく物語。各々の命が劇的に変化する話ではないので、その後の彼らに興味が無くなってしまうのも当然か。後編の物語構造がどうなるかは分からないが、舞台に仕込まれた一つの大きな回路は後編で炸裂するのだろう。雨宮優子と火村夕の物語が本当のfairy taleなのだとすれば、まだまだ幕は開いたばかり。

かっこいいわたし、見せてあげるわ。

 今回『ef』に関して、シナリオの良否以外の構造的な不満点があるとすれば、絵のことになる。背景の美しさについては18禁ゲームの現状では最高峰であり、誰も文句を言わないところだろうが――やはり人間の方がやや見劣りする。以前心配していた二人原画についてはほとんど違和感は無かった。CGの枚数も申し分ない。良い場面を余すところ無く一枚絵にしているのに、やや人に動きが足りない。

お姉ちゃんは止まると死んじゃう動物みたい……

 七尾奈留はかなり頑張っているんじゃないかと思う。まさか七尾原画の作品でこんなにも絵が見られる時代になるとは、誰が予想しただろう。それでも評価としては、背景の美しさには追いついていないと感じる。質と枚数が反比例するとした場合、枚数を増やすのが正しいのか、一枚に魂を込めるのが大事なのかは判断しかねるが……そもそもあの背景に負けない人間を描ける原画家がいるのかどうか。キャラクターを前面に出さない絵の方が印象に残っている。

ま、まいのりてぃってなに?

 京介がビデオ回すシーンは結構凝っていて、読んでいる間は時間が回っていく仕様に加えてバックログでは時間が固定されている。絵の視点や演出に対するこだわりは映画的であり、贅肉の少ない台詞回しもその印象を強くする。積み重ねられてゆく物語を楽しむのではなくて、しっかりと組み上げられた構造を楽しむ作品。所謂 "エロゲ" を期待してプレイすると、物語に入り込めない感触に違和感を覚えるかもしれない。

この原稿上がったの、俺一人の力じゃねぇから。

 この作品には、創作に対する思いが込められているように見える。彼らの人間関係とも絡みつつ端々に。紘の描きたい気持ちとか、京介の撮る事への執着とか、極めてプリミティブな創作願望。それでいて最後にはパートナーを第一に選ばせるあたりが若さでもあり、現代の18禁ゲームの限界でもあるのか。

羽山ミズキが読み飛ばさないような漫画を描けるように。
夢を見果てるにはまだ早すぎるから。

 そして最大のポイントはまだ完結していないということだ。今回のfirst taleでも充分楽しめたが、最終的な評価はlater taleがリリースされてからになる。締め方を間違えて一気に凡作になる作品もあるので、真価はこれから問われるだろう。