CUFFS 『さくらむすび』 考察  大人達への復讐

うまい料理は皿まで舐める、これが礼儀だ。
しかし皿には毒が塗られていた。


・全体的に見て
ゲームとしてはイベント絵が少ない、ノベルなのに文字が読みにくい、コンフィグ項目が少ない等々あまり完成度が高いとは言い難い。トノイケダイスケ & ☆画野朗のF&C離脱から色々と面倒なことがあったのは想像出来るけど、だからといって作品の評価には全く関係しない。その分6800円と廉価という意見もあるが、どうせなら8800円でも細かな不満は潰して欲しかった。


語り口調に関してはちょっと説明臭いかな、と思う場面もあるけどおおむね良好。主人公の圭吾が振り返ったり思い悩んだりしやすい人なので少々鬱陶しい語りになるのはしょうがない。ある意味それは 『さくらむすび』 という作品にとって重要である、というか思い悩まない性格ならあっさり紅葉と結ばれて終了でしょう。可能性を模索し、過去を探る鍵となる存在としては必要なこと。そしてあの男の血を引く存在なら当然のこと。


発売が危ぶまれる事態にまで発展した☆画野朗先生の絵ですが、ロリ方向に突き抜けてて絶好調だね。一番大人っぽい可憐はともかく紅葉は中学生、桜に至っては確実に小学生にしか見えない。エロシーンはその傾向が特に顕著でどんどん三人とも幼児化していく。ロリコンの俺としては大いに結構なんですが、これで引いた人も多いと思う。イベント絵の枚数の少なさは本気でどうにかするべき。内部事情は知らないが開発期間が短かったのかな? 全体的にそんな印象を受ける。


基本的には何の変哲もない恋愛モノであると思います。『水月』 ほどミステリアスな要素は無くボリュームもそこそこ。爽快感は皆無だがトノイケダイスケの繊細な心理描写は充分生きている。ただ、深読みを始めると途端に物語が奇妙な形に歪み始める。考察は出来るだけ深くした方が物語を吸収出来ると日頃から思ってるのですが、この作品においてはそうでもない感じ。深読み出来るようにはなっているが深読みするべきではないというか、恋愛にテーマを絞って読んだ方がずっと楽しめる。しかし我慢出来なかったので必要以上に深読みしてみました。


さて、ネタバレ無しはこの辺にしてキャラ別の考察へ。以下かなりネタバレ。




・秋野紅葉 ─ 全てを包む愛

紅葉は、本当に無敵なのかもしれないな、と思う。

シナリオのトノイケダイスケは幼馴染み好きとして有名ですが、それを考慮したって愛が溢れすぎているキャラとシナリオ。(表の意味での)『さくらむすび』 のメインヒロインは紅葉である。ちゃんとクリスマス会が開かれるのは紅葉ルートだけだし、桜のお化けを解放出来るのも紅葉だけだ。(過去の事実は静・菊代によって隠蔽されるが) 普通に圭吾の状態を見ていれば、紅葉と付き合う以外の選択肢が浮かぶ筈は無いのですが……そこはエロゲだから仕方ない。


全編に渡って甘く可愛らしいシナリオですが、特に凄かったのは散髪中の告白シーンと初体験シーンの二つ。
告白シーンには結構ライターの個性が出ると思うんだけど、やはりトノイケダイスケは幼馴染み好きのココロを理解している! と確信しました。幼馴染みを構成する最も重要な要素は信頼です。相手が見えない状況で自分の心を語る、というのは紅葉への大きな信頼を示す。「顔は見えなくても笑っているのが伝わってくる」 その信頼の上に愛情を上乗せする場面に、散髪という 「これからも続いてほしい日常」 を当てたというのがもう堪らない。エロゲ史に残る名シーン。

美容室は、いいよ。ずっと紅葉に切ってもらいたい。

紅葉の初体験のシーンは何というか、魂が込められてて非常に眩しかった。ベタ甘も突き詰めればここまで来るのだという程ただひたすらに甘く。J.さいろー氏が言っていた 「エロシーンは心理描写の塊」 ってのは真理だが、紅葉のエロシーンは幼馴染みとして溜めてきた我慢を払うかのような素晴らしい場面。紅葉は何気なく圭吾と一緒に過ごしてきたように見えて、結ばれるまでとても沢山の気持ちを自分の中に埋葬してきた。その愛しい気持ちがどうしようもなく蘇り溢れ、そしてまた新たに生まれる−−実にこう、暖かい、紅葉らしい重なりであったなぁと思います。

絶望の縁から、最後の最後で僕を救い出してくれたもの。
手の温もり、優しい言葉、無邪気な笑顔、大好きな──紅葉。

紅葉は安定を示す。全体のシナリオとしても彼女以外を選ぶことは非常に不自然で、本当に心が痛む。象徴的なのは 「桜を迎えに行くか、紅葉の作った夕飯を食べるか」 を選択するシーンである。極々個人的な考えだが、自分の為に食事を作ってくれる人がいるのに美味しく食べてやらないというのは外道のやることである。頻繁に用いられる古典的シチュエーションであるけど、そこに込められる想いをすくい上げられないような人間は今すぐ叩き殺……まぁ、圭吾はそういう性格を運命づけられてるからしょうがないんですけど。そして紅葉の報われない性格も秋野の血によるのだろう。


多分意図的なんだが、圭吾が桜や可憐を選んだ場合の紅葉というのはほとんど描写されない。元々が完全な圭吾視点ってのもあるし、紅葉は圭吾に弱い部分を絶対見せないというのもある。圭吾が行ってしまった時紅葉はどう思ったのか、いや、どう泣いたのか。そしてそれを見せないが紅葉の矜持。泣けるよ。
紅葉は桜の姉だけでなく、圭吾の姉でもあったのかも知れない。圭吾はその位紅葉に守られてきたのに、紅葉ルート以外では彼女の気持ちを深く考えることなくあっさり捨ててしまう。俺にはその罪悪感は無視出来そうにない。


紅葉にはメインヒロイン以外にもう一つ大きな役割がある。マヨイガの否定である。紅葉は 「桜結び」 の劇で二人きりの世界を否定して見せた。(『水月』 の中で透矢がマヨイガに行くのを止めたのは、同じく幼馴染みである花梨。) 今まで育ってきた世界や社会を否定しない、という意味で紅葉は桜や可憐とも違ってくる。それだけ彼女が最強の存在だという事だろうか? いや、紅葉の場合壊すより受け入れる力が強いんだな。

誰に望まれずに生まれてきても。
僕は今、ここにいるだろう。
大好きな妹と、家族と、愛する人と共に。
何が、誰が、不幸なものか。

関係ないが、紅葉エンドで圭吾と紅葉は仲良く一年浪人生活を選択し圭吾は秋野家で暮らすことになる。そのラブラブ & バカップルっぷりを考えると思わず頬がゆるむ。そこには想像出来ないほどの圧倒的な楽園があるんだろう。つーかどうせ毎日エッチしてお漏らしするんだろ? やってらんねー。




・桐山桜 ─ サクラのセカイ

僕から巣立つのがおまえなのか。
おまえから巣立つのが僕なのか。

桐山亮一と同じく受け入れる人間である兄と兄を強く求める幼い妹、故に禁断の果実を手にしてしまった。桜シナリオは一見そう見えるが、桜自身の桐山圭吾に対する感情はそれほど異常なものではなかったように思う。兄が唯一の肉親であることを考えれば愛情は強まるのも仕方がない。 (若干精神発育が遅れている事を臭わせる描写については、一応桜は健常者である認識で進める) 確かに桜は強く兄を求めているが、紅葉シナリオで圭吾に桜結びを贈るシーンを見る限り兄離れ出来ない子ではないかな、と。特殊な環境云々と圭吾は言うけれど、桜にはちゃんと父親も母親も姉もいる。単純に彼女の幸せな未来を考えるなら、圭吾は兄という存在以上であるべきではない。


圭吾が道を踏み外したのは、桜の魔性という要素はあるにしろ最終的には自分自身の感情によるものであった。「桜の良き兄であらねば」 という呪縛と大人を信用出来ない性質により、禁忌の感情を自分の内に育ててしまった。圭吾は自分の気持ちを抑えきれずに桜を愛し、世界から外れていく。

ただ、誰かの作った平凡の為に、苦痛を与えてまで生き長らえさせるくらいなら…
───共に道を踏み外そう。

まぁ、単に事実だけを並べたところでは 「妹を愛して何が悪い」 と思ってしまうのですが。
兄が妹を性的対象と見ることに抵抗がないはずの18禁ゲームというジャンルにおいて、この作品は随分と特殊だ。本当に妹を愛してしまったらどうなるか、その恋愛が社会的にどう見られるのか。普通は描かれないような社会的常識と倫理的問題が圭吾と桜には常に付きまとう。血は繋がってないはずなのに、ね。

だって、この子の幸せが、僕の幸せだ。

結局桜Trueエンドでもこれらは解決されず、圭吾と桜は秋野家の人々を始めとする倫理から逃げ出す事になる。卒業して桜結びを得ても行き着く先は変わらないとも思えるのですが、やはり重要になるのは社会的要素。高校を卒業出来ていない桜と高卒で働き始めたばかりの圭吾が生きて行くには社会は冷たすぎる。社会人二年目の圭吾と桜ならば素性を隠せばなんとか生きていけるかも知れない。つまらない違いだが、社会だとか倫理ってのはそういうものなんだろう。

本当にありがとう、桜。
おまえは強くなったね。

今までの言葉で分かる通り、自分はこういう社会要素に根深い不信感がある。
桜が大人になる前に関係を結ぶことで、桜の可能性や未来を潰してしまうかも知れない。そういう面から心配し、桜の成長を待とうとする気持ちもあっただろう。金銭的な無理も分かる。それでも秋野夫妻のあの台詞、龍馬の罵倒、その他大勢の悪意ある目線、全部に──どうしようも無い怒りを感じてしまうワケです。だからTrueエンドよりBadエンドの方が圭吾にシンクロ出来た。


桜シナリオと可憐シナリオは最終的には同一の構造を取るのだがその理由は後述。設定の読み方次第で解釈が多少違ってくるので。しかし……桜にとっての化け物は圭吾の認識だったんだね。悲しい話だ。




・瀬良可憐 ─ 進化するヒト

私の見込んだ方ですもの。幸せに、して下さいますよね。

可憐は圭吾にとって可能性を示す。桜と紅葉にとっては可能性より脅威だけど。
見所は桜との対決シーンとエンディング。あの状況で桜に伝言役を頼む可憐も鬼だが、それは多分桜に無言のまま兄とは結ばれないことを伝えたかったんでしょう。そういえばあの時点では可憐は社会を考慮しているな。後々の展開を考えると実に皮肉だ。ああして自分の自我を強く張れる可憐は非常に魅力的。

圭吾。…妹を頼む。

エンディングの方はヘタレな圭吾ちゃんに喝を入れてくれる作中では貴重なシーン。あのような生温い覚悟のままではバッドエンドにしか終わらない二人の関係を、可憐の決意と勇気が救う。自分をさらえと宣言する可憐は随分強気なお姫様だが、弱気な英雄を焚き付けるにはその位しないと。正にあの一歩が二人の始まり。
そして土壇場での邦彦の格好良さと言ったら圭吾が霞んで見えなくなる程だ。あの瞬間に可憐と邦彦の間の化け物は消滅した。それは圭吾と可憐にとっても明るい未来を予想させる心強い応援だったに違いない。

ありがとう。…にい、さん。

可憐は過去の事実と血の呪いを打破する可能性を秘めた、作品中最強のヒトだと思う。(紅葉も強いが、壁をブチ壊す力は可憐にある。) 圭吾が弱い分彼女が強い。それに関しては次の解明編で詳しく語るとして、彼女が理不尽な化け物を否定し個の存在を選択する決意は、自分にとっては素晴らしいものであると思う。この役割は桜ではなく、可憐によってなされるべきだ。


彼女については過去との関連が強いので、設定を考察した後に。




・過去解明編 ─ 自分なりの 「桜結び」
最初にシナリオのトノイケダイスケの公式コメントを引用しておきます。

中身は可愛い女の子三人とベタベタして、割と幸せな話。
基本的には山で迷って変なところにたどり着いたりしません。
応用的にはわかりませんが。
当然ながら、幸せになるまでに色々とありますし、
その「幸せ」の在り方だって十人十色ですよね…
なんて、いささかの含みは持たせておきますけど。
山なしオチなし意味なし、というわけでもないのだけど、
理屈ではなくて、ただそこにあるべきものがあるだけ、
という感じになるといいかな、と思っています。
「シナリオとは!」とか「起承転結とは!」とか
『かくあるべし』な人には、あまり向かないかも、ですね。

正にその通りだと思います。紅葉や可憐、桜の幸せに過去など関係ない。
散々これから妄想じみた考察をしていく訳ですが、実際シナリオにおいては裏の要素はどうでもいいような感じを受けます。ここから先は 「あえてテキスト化されなかった事実」 を引きずり出す作業です。全ての言説において根拠は薄く、楽しむ上ではほとんど意味がありません。ただ、自分には 『さくらむすび』 がそう簡単に終わる作品には見えなかった訳で、自分を納得させる意味でも何かを書いておきたいと思いました。それでも見るという方は覚悟の上で。

はは…。何かのドラマみたいな話ですね。
とびきり、安っぽい脚本の。

可憐の 「過去があって今がある」 という言葉。生易しい意味ではない。



● 大前提、作中で語られる範囲での人間関係の確認
[大人世代]
・桐山亮一……受け入れるだけの男。秋野楓という許嫁がありながら金村世津子と関係を結び、それが全ての過去の発端となる。楓と共に事故死。
・金村世津子……桜の君。高校を二年留年しており亮一より年上。在学中に亮一との間に圭吾を妊娠する。高校を中退し亮一と生活する予定が、亮一に捨てられ圭吾を奪われる。退学後に瀬良光博が作る初代 「桜結び」 の台本作りに協力する。最終的には発狂し、桜の下で自殺する。
・秋野楓……楓の君。桐山亮一の許嫁。一度は亮一に捨てられるものの復縁する。桐山亮一の連れ子として圭吾を育てるが、後に施設から桜を迎え入れる。亮一と共に事故死。
・瀬良光博……瀬良医院の跡取り。桐山亮一を告発する初代 「桜結び」 の台本を書く。実の娘に可憐、養子として邦彦を迎え入れる。存命。
・秋野静……秋野楓の兄。町議会議員。紅葉の実の父であり、桜の義理の父。桐山亮一より一つ年上、瀬良光博より二つ年上。
・秋野菊代……秋野静の妻。病院勤務。旧姓は不明。秋野静より一つ年上。


[子供世代]
・桐山圭吾……桐山亮一と金村世津子の間の子供。育ての親は桐山亮一・楓夫妻。亮一・楓の死後は金村世津子の母親金村セツに引き取られる。セツの死後は金村宅に一人暮らし。
・桐山桜……出生不詳。施設から亮一・楓夫妻に引き取られた。桐山亮一・楓夫妻の死後、現在は秋野家で暮らす。
・秋野紅葉……秋野静・菊代夫妻の実の娘。圭吾とは従姉妹の関係。
・瀬良可憐……瀬良夫妻の実の娘。今回の考察の主人公。


これらに対し、独自解釈として以下の要素を考慮する。



● 瀬良可憐の年齢がおかしい
可憐は瀬良夫婦の実の娘で、かつ瀬良夫妻は病院での職場結婚という事になっているが、桐山亮一より一つ年下の瀬良光博がどうやって「圭吾と二つしか年が違わない可憐」を、医大卒業後に医者になって働き始めた病院で知り合った今の妻に産ませることが出来るのか。(圭吾は亮一が高校卒業後間もなく生まれている。) 年齢的に有り得ない。ならば瀬良可憐の母親は誰なのか?



● 圭吾と可憐の前に立ち塞がる 「化け物」
この「化け物」という障害は作中で明示されない。一見するとこの障害は「いわゆる身分の差 (差別問題を含む)」 「圭吾があの桐山亮一の息子であること」 の様に思えるが、これらだけが正体ではないように思う。



● 瀬良光博が隠した真実
可憐の年齢問題と合わせ、ここで一つの仮説を展開する。瀬良光博には、初代 「桜結び」 の台本を書いた際に金村世津子と交流があった。可憐が生まれたタイミング、「桜の君」 の持つ魔性、「化け物」の正体、これらを鑑みれば瀬良可憐の母親は金村世津子である。


世津子に同情し亮一を告発しようとした光博が、亮一と同じく魔性に引き込まれた。可憐という望まぬ子供が生まれ、世津子は再び子供を奪われ、悲劇は繰り返した。この結果として世津子は最終的な発狂と自殺に至ったのではないか、とも考えられる。 (ここで発狂したとすると桜のお化けの説は成り立たないが) これらの事実からすると瀬良家と桐山家は鏡写しだ。圭吾が可憐に、桜が邦彦にあたる。可憐が 「邦彦が来てから自分は愛されなくなった」 ような発言をするけど、それは可憐が忌むべき存在だったからなのかも。


瀬良光博の妻 (現在の可憐の母) も可憐が金村世津子の子であることは知らない可能性もある。医学部は六年制なので瀬良光博が大学を卒業する時に可憐は既に五歳。そうすると可憐が自分の生活について記憶している可能性があるので、職場で結婚したというのはまるっきり嘘 (妻からすれば可憐が自分の娘でない事を誤魔化す為の嘘、瀬良光博からすれば金村世津子との子であることを徹底的に隠す為の嘘) かも知れない。 (或いは職場結婚というのは臨床実習 (ポリクリ) 時代に結婚した?) 可憐は出生の秘密全てを理解した上で圭吾にすら黙っているのかも。流石に断定する要素が無いからこれ以上は難しい。



● 「化け物」 の正体
圭吾と可憐が付き合うことに周りの人が反対する理由としては 「圭吾が桐山亮一の息子だから」 「圭吾の生まれの卑しさ」(理由は後述) で、瀬良光博だけが 「可憐と圭吾は異父兄妹だから」 と推測される。可憐と圭吾は何故色々な人から関係を反対され、なおかつ何故瀬良光博だけは一際強く否定するのか。その真相は理由が二種類あったから、という事になる。可憐と邦彦は事情を明確に父親・瀬良光博から聞かされてはいないようではあるが、薄々感付いてる感触はある。邦彦の方が真実に幾分か踏み込んでるのかも。



● 桜の出生に対する仮説
全く出生が明らかにされない桜。考えられる全ての可能性として色々模索してみると、まず第一に可憐と双子である説が思い浮かぶ。金村世津子が瀬良光博の子を妊娠した時に、双子を身籠もったという説。二人とも施設に預け、可憐は瀬良光博が結婚と同時に引き取り、桜は桐山家に引き取られた。つまり他人と思われた桜は圭吾の異父兄妹となる。施設から桐山家への引き取りに関して偶然に桜が選ばれたという訳ではなく、亮一があえて桜を選んで引き取った可能性もある。どうにもこの桐山亮一という男、推測を進めれば進めるほど金村世津子を捨てたことに罪悪感を感じていてどこかでそれを払おうとしている感がある。


難点は桜と可憐の身体的特徴で、双子にしてはあまりに違いすぎる…(髪の色等はゲーム的表現、と言われればそれまでだが) また、瀬良光博が桜だけを施設に預けた理由が分からない。金村世津子との関係の隠蔽を測るなら両方引き取るべきなので、仮説としては施設から引き取ったというのがそもそも嘘で、双子が生まれた時点で桐山亮一に引き渡すことが決まっていたとするのが自然か。瀬良光博が、ある意味同族の桐山亮一に事実隠蔽の共犯関係を提案した。この時楓が精神的に参っているのを感じており、且つ桜を育てることが金村世津子への罪滅ぼしになると考えた亮一はその話を受け、楓に 「施設から孤児を引き取る」 という偽話を持ち掛けた。そうか、瀬良光博は桜を一時的に施設に預け、可憐と桜の出生の秘密を守る隠れ蓑としたのか。そしてその子をすぐに桐山亮一が引き取る算段がついていた。病院関係者である瀬良光博なら施設に対して何らかの力を行使出来るかも知れない。


第二の説は秋野静・菊代の間の娘である説。秋野静・菊代夫妻が語る 「施設から引き取られた」 というのは嘘で、子供を産めない楓が兄夫妻から子供を養子に出して貰った。紅葉・桜・菊代の身体的特徴はかなり似ているし、桜を秋野家が引き取った理由もかなり強くなる。亮一と楓が施設から引き取ったのであれば秋野家が桜を引き取るのに (簡単な心情的な要素を取り払えば) それほど明確な理由がない様に見えるが、自分達の子となれば話は別だろう。そして圭吾は血の繋がりのある金村家に引き取られる。つまり桜と紅葉は本当の姉妹で、桜は圭吾にとっての従姉妹となる。


話として面白く支持が得られやすいのは桜-可憐双子説だが、桜-紅葉姉妹説は地盤が固くて安定してると思う。養子を取る時は親戚筋からというのが一般的ではないだろうか? それに加えて個人的な考えではやはり秋野静と秋野菊代は怪しいってのがある。一連の出来事の傍観者のようなフリをしているが実際はかなり食い込んでいる筈だ。



● 初代 「桜結び」 の異常性
瀬良光博が書いた初代 「桜結び」。これには金村世津子や秋野楓、桐山亮一が実名で登場する。瀬良光博はこの三人の一年低学年なので、前の年に卒業した生徒の人間関係を実名でテーマにした劇が上演されることになる。これはハッキリ言って異常である。可能性としては 「可憐が見つけた台本は瀬良光博の所持する特殊なマスターであり、上演時には名前と内容を少し変えた」 「そもそもあの台本の内容は上演されなかった」 等が考えられる。後者だとするとおそらく伝説や怪談は発生しないので、何らかの形で上演されたと思うが詳細は不明。



● 紅葉と圭吾が見た桜のお化け
これは徘徊するようになった金村世津子という説が有力。つまり世津子は圭吾と紅葉が五歳の頃にまだ死んでいなかった。 (死んだタイミングは作中では語られない) 圭吾・桜・世津子の三人で写真を撮った時にまだ精神状態が正常だったとすると、発狂した直接の原因と時期はいつ頃になるんだろう。というか桜のお化け自体が、初代 「桜結び」 が発端なのか徘徊する金村世津子が発端なのか分からない。桜の木が切られた時期なども気になる。が、物語に対してはあまり重要な要素ではない。



● 差別を思わせる記述
作中に 「川向こうの地域」 の記述がある。これはいわゆる被差別地域や部落地域に用いられる表現である。作中で夜遅いからという理由で送り迎えをするシーンが妙に多数あるが、これは被差別地域に隣接する地域と考えるとありそうな話である。俺自身は部落だの差別だのを気にするなんて腐った社会風習だと思うが、事実差別は現代にも存在する。金村世津子は身分が低かったような発言を静・菊代夫妻がしているが、これを被差別階級に当てはめれば、桐山亮一が裏切ったのも瀬良光博が全てを隠したのも納得が行く。桐山亮一も瀬良光博も社会的地位を守る為に金村世津子との関係を封印したのだ。当然金村世津子の息子である圭吾も差別の対象となりうる。楓が精神的に参っていたという辺りには、桐山亮一と圭吾が社会的にマズい立場だったことも絡んでいそう。



● 金村家の遺した多額の養育費
金村家の祖父母は裕福ではなかったのにどうやって多額の養育費を遺したか。第一に考えられるのは桐山家からの援助。秋野家が町会議員を輩出出来る家柄で、その秋野家との間で許嫁が決まっている桐山家はそれなりに裕福だったと考える。桐山亮一が金村世津子を捨てた件について、桐山家から金銭的な援助を受けることになったのではないか。当然金村家には受け取る権利があるし。


第二に瀬良家からの援助。これは桜-可憐双子説によるもので、あの金は金村家に対する桜の養育費と口止め料であると考える。 (つまりあの金は亮一・楓夫妻死後に金村セツに支払われた) 加えて第一説と同じく、瀬良光博が金村世津子を捨てた件について補償があったのかも。
どちらにせよ、秋野静・菊代夫妻はあの金の出所に見当はついてるのだろう。それをあえて圭吾に言う筈もないが……



● 書斎から見つかった桜への恨み言
誰が桜を恨む必要があったのか、というのが重要。しかし金村世津子が発狂した後に書いたというなら考察しようがない。狂うというのは物語において便利な現象すぎる。「よく分からない。ちぐはぐだ」 と圭吾が言う通り、いろんなところに嘘と誤解が紛れている。



● 圭吾が住んでいる住宅
一応、圭吾が現在住んでいるのは金村家の住居ということになっている。しかし考えようによってはあの家は桐山家のものではないかという仮説も立つ。まず書斎の存在。アレは桐山家及び桐山亮一のものだと考えると、楓と亮一の交換日記が発見されたのも頷ける。世津子は文学部だったが、書斎を持つほどの蔵書量や金銭的余裕があったのだろうか? また、金村家が被差別階級であったとすると家は川向こうにあるはず。川のこちら側にあるということは、今圭吾の住んでいる家は桐山家で、亮一・楓の死後に圭吾を引き取る金村家の祖父母が通常とは逆に「引っ越して」きたのではないか。あの手書きの桜への恨み言はやはり金村世津子のもので、引っ越しの歳に祖父母が持ってきた?
まぁこれは仮説の上の仮説であるし、交換日記が本当に交換日記であったか分からない以上何とも言えない。



● 瀬良邦彦と桐山圭吾
邦彦も施設から瀬良家に迎えられた。これは全く信憑性が無いが邦彦と圭吾が双子って線も有り得る。根拠は可憐エンドの一枚絵の邦彦が圭吾にあまりにそっくりだから。(描き分け出来てないだけ?) 桐山亮一と金村世津子の間に男の双子が生まれていて、片方を亮一が引き取り片方は施設に預けられた……流石にこれは乱暴 (桜と違い、片方だけ施設に預けられた理由がイマイチ) だが、一応全ての可能性を列挙しておく。



● 大人としての秋野夫妻
ごく個人的な意見だが、秋野静・菊代夫妻はどうにも信用ならないのだ。良い親であるのかどうかは判断しかねるが、何かこう、決定的に何かを隠している。交換日記の件もそうだし、通帳の件もそうだ。下手したら事情を全部知ってる可能性もある。少なくとも彼らの発言は鵜呑みにするべきではない。この作品のテーマは 「信用出来ない大人達」 であるからね。



● 最後まで残る謎
金村世津子・桜・圭吾が同時に写った写真と、中身を確認出来なかった交換日記についてはどうしても分からない。写真についてはギリギリの解釈で桜-可憐双子説を用いれば、桜を引き取った桐山亮一が金村世津子への罪滅ぼしとして実子である桜と圭吾に会わせてやろうと思ったという事になる。しかし発狂してたら無理な話だし、そんなに何枚も写真はあるのはおかしいし……そうなると一気に首をもたげてくるのは桜-圭吾双子説である。ややこしいが、桜は病弱で発育が遅れていたとすると、学年的に二学年分位の違いは発生する可能性がある。桐山亮一が金村世津子を捨てる前に写真は撮られ、楓とよりを戻すと同時に圭吾は桐山家に引き取られ、桜は金村世津子が育ててることとなった。しかし金村世津子は発狂し、桜もまた桐山家に引き取られたこととなる! そうすると恨み言のノートの説明もある程度可能だ。他に色々と無理はあるが、こちらの可能性も検討してみたい。交換日記に関してはあのノートに秋野夫妻が何を見たのか、何故隠したのか。絶対何かある筈なんだけど……



・全ての要素を総合した自分の結論

ありもしない血の鎖、見えもしない家族という絆。

桜シナリオと可憐シナリオが社会から同じ逃げ方をしている以上、桜-可憐双子説を頭に入れて考える。
紅葉と圭吾の間には何の障害もない。それこそ桐山亮一と秋野楓の許嫁という関係のように。だからこそ可憐と桜が、金村世津子の血を引く双子が紅葉から圭吾を奪うのだ。何の因果か ── 桜エンドと可憐エンドは桐山亮一・金村世津子の当初の関係によく似ている。それは紅葉が恐れる唯一の化け物。悲劇は繰り返すのか。
しかしここまで来ると呪いに近い。或いは本当に、桐山亮一と瀬良光博によって人生を乱された金村世津子の呪いかも知れない。(例のノートを見るに) 発狂してからは恨みを桜に向けていたようだが、その恨みは自らに関係した全ての人間にも向けられていたのだろう。

僕の父親は最低の人間だった。
僕には演技すら通す気にならないほど最低な男──それが僕の父親。

真面目に考えれば金村世津子にも大きな責任がある。桐山亮一の件はともかく、数年後に瀬良光博と共に同じ過ちを犯してしまう彼女に子供達を恨む資格はない。本当に腐った大人達であり圭吾が怒るのも当然だが、上に示した通り桜エンドと可憐エンドでは圭吾が亮一と同じ道を進んでしまう可能性が少なからず存在する。社会構造が違うので全く同じ事態にはならないが同種の悲劇。それを嫌って瀬良家も秋野家も反対するのかも知れない。

もう、大丈夫。僕が守ってあげるから。

桜と可憐は本当によく似てるのだな、と思います。二人とも兄を求めていて、その為に周りの世界を厭う。甘えたいという気持ちも同じ。それはきっと同じ血を持つ運命故なんだが、下らない過去を打破するなら可憐が適役。無邪気且つ半ば無自覚に社会の枠を踏み越える桜より、社会を理解した上で先へ進もうとする可憐の方が進化として力強い。
可憐と圭吾の関係は事実を知らない限り至って普通の関係だ。でも知らないままでいいと思う。恋愛は個の断絶の認識に完結する。可憐の 「過去があって今がある」 は完全に否定され、新しい段階に踏み出す。「何にも出来ないのは、もうたくさんだ」 と呟いた圭吾を信じましょう。

なら、それでいいじゃないか。
僕が守ろう、その幸せを。

作品として好きか嫌いかって話をすれば多分大好き。桜は少し心が子供過ぎるが、これから成長出来る子だ。可憐は大人しいようで最も熱く、人間らしい。紅葉は言わずもがな、最高のパートナーである。だから過去の話なんて全部捨て去って楽しむべきだと思う。ホントにね。




・締めの戯言
以上、過去の関係を出来る限りまとめたつもり。とにかく考慮すべき要素が多く、その上作中で明示されている要素が少ない。全てが正しいとは思っていないが、この中にはきっと真実もあるはずだ。全てが間違いだったら……俺が考えるより世界は優しかった、ということで。


ここで書いた内容は、きっと作品の評価にも紅葉達の心を感じる助けにも繋がらないだろう。しかしこうして事実を明らかにすることが、自分にとっての 「桜結び」 なのだと思った。瀬良光博が桐山亮一の行為を曝き金村世津子の無念を晴らそうとしたように、圭吾と可憐の不幸の元になった瀬良光博と金村世津子の行為を曝いてやりたかった。静と菊代が語ることより、初代 「桜結び」 が真実に見えたから。

全ては終わりを迎えた、起こりえない、過ぎ去った可能性。

思いの外この作品に心を食われているのかも知れない。既に桜の君の魔性に取り憑かれているのだろう。そしてここまで物語を解析することに意味があるのか。しかし感じてしまった以上もう曲げられない。そうあって欲しいと思うことと実際にあったことは違う。ただ語りたかっただけだ。




・参考資料 + α
超世代的に継承される家筋
苗字 その真実
兄妹結婚
近親相姦 - Wikipedia
近親婚 - Wikipedia
事実婚 - Wikipedia
医学部 - Wikipedia
CUFFS『さくらむすび』 オフィシャルホームページ
130cm 『未来にキスを』 (シナリオ:元長柾木 原画:みさくらなんこつ)
そして 『さくらむすび』 関連スレの素晴らしい書き込みに感謝。