今日の前置き

大晦日の散歩

  • 三日目終了。精も根も尽き果てたコミケでした。そして今日は昼まで寝てたり慌てて新幹線に乗ったり。
  • 今回は平均的なコミケ三日目、だったような気がします。始まるまでは疲労でどうにもテンションが上がりきらなかったのですが、各所を買い回ってるうちに結局はいつも通り全力に。リトバス関連の本が活発だった印象で、中身も面白い本が多い。エロゲ系では橋本タカシ氏が『Sugar+Spice!』を描いてて衝撃。ハモもピョンも可愛かった! なつめえりさんのイラストまとめ本も見られて眼福。
  • 設営から撤収まで参加したのは初めてで、また新しいコミケを経験できました。良いコミケで良い年末を。来年はどうなるでしょうか?
  • 最後に、随分長く先送りになっていた骨髄移植の顛末をアップしました。大した話でもないですが、興味のある方は参考に……なるかなあ。年越しにはしたくなかったので取り急ぎ。

 骨髄移植のはなし

・最初に
 これらは自分が体験した内容をまとめたものですが、全ての骨髄移植にこの内容が当てはまるとは限りませんのでご了承ください。あらかじめ骨髄移植 - Wikipediaなどで技術的要件を知っておくと分かりやすいと思います。


・七月中旬――ドナー候補者への通知
 「あなたはドナー候補者に選ばれました」――開幕を告げたのはそんな素っ気ない文章だった気がします。通知内容はHLA型(要するに白血球の血液型)が一致するドナーが現れたので、提供する意思があるかどうか早急に知らせてほしいとのことでした。
 七日以内に返答せよ、と書いてあるのに自分が手元で資料を読んだ時点では残り四日になっていました。骨髄バンクに登録してある住所を変更していなかったので、実家(名古屋)に資料が送られてしまっていたのでした。それを今住んでいる神奈川まで送るタイムラグが三日。ドナー登録者は住所を正確に申告・更新するようにしましょう。父親からいきなり「骨髄移植するらしいぞ」という電話を受けて、かなり驚いた記憶があります。(骨髄バンクからの封筒に"至急開封してください"と書いてあったので、実家側で開封したらしい) まだ学生だった頃にドナー登録をして、この時点で四年も経っていました。
 まだ移植するかどうかは分からなかったものの、会社には先に話を通しておきました。二〇〇八年夏頃は非常に忙しく、いつまでこの状況が続くか分からなかったからです。(実際は、世界同時不況の影響で暇になってしまったのですが) 幸いにも上司や職場の理解が得られ、検査や手術に際しては遠慮なく休んでよいという条件でスケジュールを進めることができました。自分の会社にはボランティア特別休暇というのもあるのですが、骨髄移植はその中に入らないようでした。そもそも社員の骨髄提供例が初めてで、自分のケースが支援体制作りの参考になれば、とは思っています。
 ここから先に記述する検査および手術期間(基本的に平日・日程指定は可)には全て有休(全休)を取得しています。会社から遠くない病院であれば、検査については半休でも対応できると思います。この時はまだ実感が薄く、家族も事態を飲み込めていない雰囲気でした。自分に何が起こるのか、誰と折り合いをつけねばならないのか。それでも自分の意気自体は、この時から変わることはありませんでした。



・八月初旬――ドナー選考検査
 今回のレシピエント(提供を受ける患者さん)はバンク内に複数のHLA型適合を得られているケースでした。よって、何人かいるドナー候補者の中から誰か一人を選ばなければなりません。その参考データとするため、最初に基本的な健康状態を検査しました。この日行ったのは採血を含む簡単な検診と問診のみ。詳細な検査はドナーとして確定してから行うとのこと。コスト面にもある程度気を配らなければならないようです。
 ドナー候補者の人数についてはコーディネータに訊いても教えてもらえませんでしたが、三人以上いるのは間違いないようでした。骨髄バンクへのドナー登録者の増加に伴い、このような幸運なケースが増えているそうです。自分は積極的に提供したいと思っていたので、外れたら残念だなあと考えたりしていました。全く失礼な話ですが、格好付けた理由以上に知的好奇心が動機の中心にあったのです。
 "もしも"の時の影響の大きさから考えて、妻帯者や社会的地位の高い人間よりも、自分のような独り身が優先されるべきです。肉体的な意味では若い男。一定のリスクが存在する以上、このような選別を行うのは大事なことでしょう。結局、今回は自分が最終的なドナーに選ばれました。何も持たない人間でよかったなあ、と思います。



・九月上旬――最終同意
 手術に際して、健康状態の悪化など止むを得ない事情以外で意思を覆さないという誓約書、最終同意書を作成することになります。ここから先、一カ月以上をかけてレシピエント側は移植のための前処置に入ります。その中でレシピエントは異常な細胞を極力排除する必要があり、その影響で本来人間が持つ免疫機構を失います。移植がスケジュール通りに進まないとほとんどの場合レシピエントの死に直結します。最終同意以降に怖じ気づいて逃げ出したら、それは殺人と同じなのです。
 最終同意書には家族のサインが必要であり、自分の場合は実家が名古屋なので、川崎に住んでる自分が名古屋まで行って最終同意確認をすることになりました。骨髄採取手術における手順・リスクなどの説明を、財団から指定を受けた医師が行います。実はこの最終同意で、最初は賛成していた母親の方が反対しはじめるという一悶着がありまして……この状況での翻意など迷惑この上ない行為であり、ひどく怒りを覚えました。(成年未成年に関わらず、親なり嫁なり旦那なりの同意がないと絶対に移植は出来ません。これは骨髄バンクによる骨髄移植の原則だそうです)
 親を説得する上では、本音ではなく分かりやすい言葉で攻めてみました。命を救うとはどういうことなのか、人類はどのようにしてここまで辿り着いたか――自分のものではない言葉を総動員して説得したところ、なんとか同意書にサインさせることができました。偉大なる先人には感謝せねばなりません。名作SFの引用は効くようです。
 親の同意については正直バカらしいなあ、と思うところもあります。未成年ならともかく、いい歳こいた大人が今さら親の同意も無いだろうと。後遺症が残ったら面倒見るのは(大多数の場合において)家族なのかもしれませんが……それを言い始めたら何をするにも家族の同意が必要になってしまいます。採取で発生するリスクの小ささを考えると、骨髄移植という本質に対して過剰な措置であるように見えます。
 この辺りでは流石に実感も湧いてくるというか、少しばかりの恐怖感もありました。しかしそれは、現代の医療技術についてある程度の知識があれば払拭できる程度のものです。自分がどのような処置を受けるのか、リスクはどの領域に存在するのかを知るために、医師から説明されるだけでなく自分で調べることが大事なのではと思います。



・九月下旬――移植前検査
 この移植前検査および次ステップの自己採血は、実際に骨髄採取を担当する病院で行われます。その病院は骨髄バンクの指定を受けたところで、保証できる医師と設備のある場所、ということになってます。入院する病院が自宅から近いこともあり特に問題はありませんでしたが、合わせて三回くらい行くことになるので遠いと大変かもしれません。地方の場合は県内に一つ、あるいは隣県の病院まで行かなければならないケースもあるそうです。関東圏のように近くに指定病院が多くある場合、ドナー側の希望で病院を選ぶこともできます。
 検査内容は今までより詳細で、身長・体重・採血以外にも心電図や心肺機能などを測定します。大きな病院ならではなのか、各検査の間もかなり長く待たされました。合間に小説など読みつつ午後を丸々使って検査終了。結果は異常なし。この時期は、骨髄バンクの用意する資料がイマイチである件についてコーディネータさんと話し合ったりしていました。ドナーと直接対話するコーディネータ、システムを組む医療従事者の間には同じ骨髄バンク内でも意見の違いがあるようでした。



・十月中旬――自己採血
 骨盤から骨髄を抜くと、身体的には同じ量の血液を失ったのと同じ状態になります。なので移植する骨髄の量に合わせて、前もって採取した自分の血を輸血することで補うことになります。自分の血を使うのは輸血リスクを最小限に抑えるためです。(輸血リスクについては輸血に伴う反応輸血の副作用などを参照)
 この辺りからドナーは、風邪などの病気にならないように気を付けなければなりません。自分の場合はちょうど寒くなる時期で、とりあえず移動時はマスクをしたりして対策を行っていました。入院直前にはより厳重な、そもそも人の多い所には行かないなどの配慮も必要でしょう。(まあ、この時期は某誌原稿に追われてて休日も部屋に引き籠もっていたので全然心配なかったのですが)



・十一月上旬――骨髄移植手術
 いよいよ入院と相成りました。先の検診の結果も良好で、概ねスケジュール通りの進行に。
 入院は三泊四日が基本、術後が悪ければその後回復するまで入院、という形になります。入院費用は全額財団持ちなので高い個室にも入り放題です。自分のタイミングでは大きな個室しか空いていなかったため、一泊二万円弱の部屋に入りました。ソファーや作業机、シンク、電気コンロ、バスタブ付の風呂まであって観光ホテルのようでした。
 前日は特にやることはありません。問診と採血くらいはありますが、他は部屋でのんびり本でも読むのが妥当な過ごし方でしょう。自分は持ち込んだEeePC+EM-ONEでいつも通りのWeb生活を送っておりました。個室内であれば携帯電話などの通信機器も使い放題で、正直会社の寮よりずっと居心地が良くて困りました。自分の部屋にはエロゲとCD山積みの兎小屋なので……自業自得ですね分かります。
 当たり前ですが取り扱いは入院患者と同じ、食事は通常の病院食になります。味に関して語るのは止めておきましょう。手術当日(日付変更線)から飲食禁止になることを考えて夜はしっかりと食べつつ消灯時間に就寝……はせず、遅くまでキッズステーションで『NARUTO』などを見てました。病院のテレビがケーブル完備だとは思ってなかった。
 いよいよ手術当日、手術衣に着替えて準備万端……とは言いつつも、特にやることはありません。麻酔前処置の内服薬を飲み、手術室に運ばれてしまえばあとは全身麻酔で意識が無くなるのでどうしようもありません。点滴経由で麻酔薬が導入され、身体の末端から感覚を失っていく過程は気持ち良かったような記憶があります。この辺り、麻酔の影響でかなり記憶が混乱しています。
 手術内容は、二重構造の針で骨盤を刺し抜き、中から骨髄を吸い出すシンプルなものです。骨髄は流動性が低いため、同じ穴から一気には採取せず骨盤に多数の穴を空けます。自分の場合は採取量が多かったので穴が百箇所近くになりました。(皮膚表面に残る痕はもっと少ないのですが) 手術中は寝てるだけなので特に苦労はありません。
 本番は手術後です。処置室で気が付いた時には骨盤に百箇所あまりの穴、尿道にはカテーテル、左手には点滴、右手には心拍センサ、両足には血栓防止の圧迫器、麻酔の影響で頭はぼんやり。会話くらいは問題なくできますが、文章を読んだり論理的思考をするのは難しい状態です。ここは寝てしまうのが良いのかなと思います。
 手術後には、「傷口が痛かったら押して下さい」とモルヒネのボタンが預けられます。押すと一定量モルヒネが点滴内に混ざり、その投入ログも記録されて経過観察に役立てられるとか。正直なところ採取痕はあまり痛くなかったのですが、興味本位で押してしまいました。
 二度押した結果、夕方を過ぎてから悪心の副作用が。夕飯に少しつまんだら即嘔吐、全身の不快な気怠さで寝ることもままならず、一晩キッズステーションを見て過ごすことに。訊いたところ投与回数自体は多くないそうなので、相性が悪かったのでしょう。
 始発が動き始めるくらいの時間にはモルヒネの副作用も抜けて、ようやく眠れるかな……というあたりで今度は尿道カテーテルを入れてる箇所(要するに男性器)がむず痒くなってきて参りました。カテーテルを触れば痛い、しかもそれが身体の内部から来るものですから、ただ耐えるしかない状態。ちょっとでも勃起させようものなら激しい激痛(あまりに酷い痛みのため二重表現)と共に人間として情けない気分で一杯になれます。太めのストローくらいの管が尿道を広げてると思ってもらえれば、痛みが少しは想像できるかと思います。
 尿道カテーテルは膀胱内まで入っていて、ふとした拍子に腹筋に力を込めると自動的に尿が出ます。管の先はベッド下の排尿袋に繋がっていて、尿がそちらに移動すると小さいながら水音がするので、あえて看護士さんが来てる時に腹筋すると排尿プレイが可能になります。カテーテルを抜く際には色々見られたり触られたりしますが、正直興奮してる場合じゃないです。抜く瞬間、管が尿道を移動する痛みで危うくロストしそうになりました。
 手術翌日には各種不具合も無くなり、普段通りとまではいかないものの一応動けるように。元々健康体だから抜けるのも早いのでしょうか。合間に採血や問診を挟みつつ、原稿をしたりサイトを更新したり普段通りの生活を。傷口を保護すれば風呂にも入れます。
 手術翌々日の朝、医師の問診で問題が無ければ退院になります。多少苦しんだところもありますが、手際の良いスタッフとあっけない手術に対しては不満も何もありませんでした。数日を過ごした病院を見上げると、高度に社会的な満足感や達成感というよりは、当たり前の仕事を片付けた開放感や安心感のような、あくまで微小な感動が残りました。これは当然に行われる命の引継で、ここから先はレシピエント側のスタッフが努力しなければならないことで、自分はちょっと壮大な献血をしただけのような。駅へのタクシーを待つ間に、シャッフル再生にしていたiPodから「Alicemagic」が流れ出したのには思わず笑ってしまいましたが。良いオチがついた。



・十二月上旬――移植後検査
 移植後に異常が発生していないかを確かめる検査になります。血液検査と問診で、症状は自分で申告するのが主に。自分の場合は腰の痛み(手術での尖刺痕)以外は特になく、これらは時間と共に小さくなっているので問題ないとのことでした。人によっては、尖刺で脚の皮膚感覚が一部鈍化したり感覚そのものを喪失する後遺症が発生するらしい。(自分はこの検査の直前にマッサージ屋で全身コースを受けていて、その障害が出てないことを確認してはいたのですが)
 この頃になると、移植手術が遠い昔の話のように思えます。それだけ非日常的で、かつ洗練されたシステムの中で行われてるからでしょう。素晴らしいことです。コーディネータからはドナーの処置は順調に進んだと聞かされましたが、本当のところは分かりません。自分がコーディネータなら、もし手術が失敗していてもドナーに事実を伝えたりはしないでしょうから。当たり前かつ悲しいことですが、事の成否はドナーにはどうしようもないのです。



・現在
 経過としては何の問題もなく。手術直後は身体を捻ったり前屈すると痛みがありましたが、今では全く出ません。記憶も薄れ始めていて、今年何かやった?と訊かれてようやく「そういえば骨髄移植したなあ」と思い出すくらいの感覚です。そんなものでいいのでしょう。誰にでも出来ることで、過度に怖れられるようなものであってはいけないと思います。興味がある人はまず、骨髄移植推進財団のHPを覗いてみてください。こう言っちゃあなんですが、面白いですよ骨髄移植。